汐入三丁目の台地上には、明治から大正にかけて、気象観測や航海に関する図書の保管供給を行う「海軍測器庫」が設置されていた。
地元では、天文台、御文庫などと呼ばれ親しまれていたが、関東大震災後の稲楠土地交換事業によって移転した。
その際、敷地は海軍用地から民地へと変わっているはずだが、海軍用地碑が今も残っている。場所柄、測器庫用地の境界標石と推測している。
標石はよくある花崗岩製の角柱で、刻字は磨り減り判読困難だが
「海軍用地」と思われる。
汐入三丁目の台地上には、明治から大正にかけて、気象観測や航海に関する図書の保管供給を行う「海軍測器庫」が設置されていた。
地元では、天文台、御文庫などと呼ばれ親しまれていたが、関東大震災後の稲楠土地交換事業によって移転した。
その際、敷地は海軍用地から民地へと変わっているはずだが、海軍用地碑が今も残っている。場所柄、測器庫用地の境界標石と推測している。
標石はよくある花崗岩製の角柱で、刻字は磨り減り判読困難だが
「海軍用地」と思われる。