空襲による被害の軽減と防護強化を目的とし、昭和19年に出された横須賀海軍工廠第一次疎開計画、翌年の第二次疎開計画を受けて、工廠内各部、各工場は廠内外に疎開先を求めた。
光学実験部は逗子町久木の谷戸を疎開先としていることから、久木のこの壕ではないかと推測している。
丘陵の中腹に構築されており、基本は縦横に3本づつの直線壕が交差している形状。長い壕では100mを超える。内部の幅は4mだが、開口部は小さく造られている。全体的に荒れており、水没部分も多い。
開口部は小さく造られている
二又部分
あちこち水没している
こちらも水没
開口部だが大石で塞がれている
堆積している炭酸カルシウム
掘削途中の部分