満州事変が始まった昭和6年9月18日、軍用犬金剛と那智が北大営で戦死した。その後、独立守備隊で軍用犬の担当だった板倉少佐(当時は大尉)も戦死し、その遺骨は少佐の愛犬であった同じ軍用犬「ジュリー」とともに帰国。未亡人と遺児は、逗子に移り住んだが、ジュリーも翌年病死してしまった。悲しんだ家族は延命寺に埋葬し、子供たちは日々墓参を続けていた。
子供たちが通っていた逗子小の校長がこの様子に感激し、子供たちに話して聞かせたところ、皆が記念碑を作ろうと献金を始めたのだ。この話が新聞報道され全国から献金が集まることになり、ジュリーの慰霊とともに金剛、那智を顕彰するブロンズ製の立派な忠犬の碑が完成した。
除幕式は昭和8年7月6日に行われた。像は実物の2倍くらいの大きさであったそうだ。
昭和10年には、小学国語読本に「犬の手柄」と題して満州事変での金剛、那智の活躍が掲載され、全国に知られることになる。
しかし、昭和18年、金属回収でブロンズ像は供出され、戦後に台座も撤去されてしまった。
撤去後、近郷近在で亡くなった犬を合祀してほしいとの希望が多くなり、昭和33年6月、関東軍軍犬育成所出身者によって、延命寺に僅かに残る台石の一部を使って「動物愛護慰霊之碑」が再建され、3頭の遺骨もここに納められた。
所在:延命寺(逗子市)
〇忠犬の碑の碑文
昭和六年九月十八日奉天北大営の夜戰において戦死せる故陸軍歩兵少佐板倉立氏の愛犬金剛、那智の二つの忠犬の戦功を永遠に記念せんためと故少佐遺族の至愛に背きて昭和七年二月十四日昇天せる少佐の遺犬ジュリーの霊を慰めんために我ら小さきもの此の挙を企て而して世の多くの同情によつて此の碑を建つ
〇「忠犬之碑」の揮毫は荒木貞夫陸軍大臣

