戦時下における特徴的な広告

広 告

リスト以外の戦時下ならではの特徴的な広告を紹介します。

出社要請の広告
空襲により被災した工場に出勤を促す広告。現在と違って個人への連絡手段が郵便以外にほぼなく、また社員の被災状況もわからないなかでは、このような新聞広告が大きな役割を果たしたのだろう。

内容
「東芝通信機従業員諸君!! 直チニ出社セヨ 工場ハ既ニ作業ヲ始メタ
諸君ノ同僚ハ奮然トシテ戦場デ頑張ツテ居ル、今生産ノ戦列カラ離レルコトハ敵ノ思ウ壺ダ 第一線将兵ガ兵器ノ来ルノヲ待ツテ居ル、速カニ出社シ皇国ノ生産ヲ守リ抜コウデハナイカ 
東芝通信機製造所」
掲載:昭和20年5月 

入学生に向けた手続き要請の広告
前身は昭和10年2月に開校した善隣協会専門学校。昭和14年に善隣高等商業学校と改称、昭和19年に善隣外事専門学校と改称。目的は外地で活躍する人材を育てるためで、語学教育が主体で、学科は支那科、蒙古科、露西亜科、安南科、泰科、緬甸科、印度科 、比律賓科、馬来科、土耳古科があった。4月の空襲で建物が全焼したため、新学期に入り入学生向けに新聞広告を出したもの。戦後の昭和25年に廃校となっている。

内容
「善隣外事専門学校  補欠入学(第五期)志願者ニ告グ 書類焼失ノタメ四月九日〆切期日迄ニ入学書類提出〜
新入学生(第二期試験合格者)ニ告グ 名簿焼失ノタメ新入学生ハ科名、氏名、生年月日、本籍、現住所、出身校名ヲ明記シ納付金額領収書同封ノ上至急送付セラレタシ 
東京都淀橋区西大久保四丁目一七〇(保善工業校内)善隣外事専門学校」
掲載:昭和20年5月 

戦災者向けの貸家の広告
空襲によって多くの方が家屋を失った。つまり、家の需要が非常に大きいのでこんな広告も出てくる。

内容
「戦災疎開者 に適当なる家を御貸し致します 西区高島町通り一の五 山縣」
掲載:昭和20年5月 

交際相手探しの広告
特に戦争と直接関係するわけではないが、時代を表す広告として紹介。嫁度とは「かしたし」と読み、交際相手を求める広告である。先様とあることから男性を募集しているもので、25歳以上55歳以下の専門学校卒業で恩給のある人という意味か。こちらには46歳の娘や19歳の高女卒の女性がいることが書かれている。ただ肝心の連絡先がないが、新聞社に問い合わせるのであろうか。

内容
「嫁度 先様五五以上25以上 専門校出令息有力恩給付 当四六娘十九高女出有 必□□額度・姓名在社」
掲載:昭和20年5月 

医療関係者徴用令の広告

自らの意志とは無関係に、こういった形で国民の権利、自由は制限されていくのだ。国家総動員とはそういうことなのだ。
内容
「横浜川崎空襲罹災医師看護婦各位ニ急告ス 今般横浜、川崎両市ニ於テ空襲ニヨリ罹災シタル医師、看護婦(派出看護婦会ノ看護婦ヲ含ム)全員ニ対シ医療関係者徴用令ニヨリ徴用ヲ命ゼラレタルニ付左記注意ノ上即時出頭スベシ 昭和二十年五月 神奈川県知事 藤原孝夫  
左記 一、徴用スベキ者 @横浜、川崎、両市ニ就業ノ場所ヲ有スル医師、看護婦ニシテ空襲ニ因リ就業ノ場所ヲ失ヒタル者、但シ官公立病院、診療所、陸海軍病院、済生会、日本赤十字社経営ノ病院、診療所勤務者ヲ除ク
二、従事業務ノ内容及場所 内地ニ於テ戦災医療及一般国民医療 三、出頭ノ時期及場所 即時最寄都道府県庁衛生課ニ出頭シ指示ヲ受クルコト 四、本広告ヲ以テ医療関係者徴用令第十条ニ基ク出頭命令トス 五、故無ノ出頭セザル者ハ国家総動員法ニヨリ厳罰ニ処セラル」
掲載:昭和20年5月 

家政婦・求人売家の広告
3行広告を2点。最初は、家政婦募集だが、戦災か疎開者の中で41歳以上という年齢制限が不思議な広告。なぜ41歳なのか?
もう一点は売家なのだが、防空壕付きを明示してあるところが戦時中らしい。

内容
「求 家事婦 戦災又疎開者にて四十一歳以上至急来談 神奈川区三ツ沢中町バス停留所付近 村尾

売家 横浜市中区満坂二十八坪、瓦斯水道門□ 八、六、六、三半、三 瓦葺、平屋 借地六十、横穴壕、金二万千円 中区柏葉九十八 五十四組 鈴木電呼(□一八九〇)」
掲載:昭和20年5月 

葬儀の広告
80年以上前のものになるが、内容的には現在とそれほど変わりはない。しかし、一か所、追而(おって)の部分に空襲警報発令の場合の但書きがある。これはまさに当時の世相を反映した部分となる。

内容
「夫英雄儀永らく病気療養中の処薬石効なく五月三日午後七時永眠仕候に付ては来る五月十二日正午より一時迄自宅に於て告別式相営度候條故人生前の御交誼を深謝し茲に謹告仕候
追而警報発令の場合は解除を待ち執行致度為念申添候 昭和二十年五月十一日 
横須賀市中里町二百八十四番地 妻 足立原むめ 弟 足立原清治 外 親族一同」
掲載:昭和20年5月 

各方面委員に向けた広告
方面委員とは、現在の民生委員の前身となるもので、生活困窮者の支援を中心に地域の福祉活動にあたる奉仕者のことを言う。昭和6年に財団法人全日本方面委員聯盟が設立され、昭和11年には法制度化された。昭和21年に廃止され、民生委員へ移行した。5月18日というのは、方面委員制度発足の契機となった大正5年の大正天皇ご臨席の地方長官会議の事を指している。

内容
「方面委員各位に告ぐ  
戦局日に急迫を告ぐるの時 畏くも 大正天皇□子御愛憫の聖旨を拝せし記念の日五月十八日を思う 各位は愈々感奮□□其の活動を戦争完遂の一点に凝集するは素より □に当面の重大□策たる戦災□護に全幅の努力を傾け 以て聖慮に応え奉らん事を切望す 
財団法人 全日本方面委員連盟」
掲載:昭和20年5月 

戦災にあった中小工場機械等の調査の広告
各都市が空襲で壊滅的な被害を受けている中でも、このような調査を組織立って行っていたことはあまり知られていない。

内容
「今般神奈川県及軍需管理部ニ於テハ過日来ノ空襲ニヨル戦災工場ノ罹災機械ニシテ現場ニ放置シアルモノヲ急速ニ修理シ之ガ活用ヲ図ル為実地調査班ヲ現場ニ派遣シ機械等ノ破損程度ヲ測定審別シ夫々標示ヲ付スルニ付当業者ハ現場立会御協力ヲ乞ウ 
一、調査の対象 戦災地ニ残存セル工作機械 プレス、電動機等 
二、調査期日 五月二十一日ヨリ概ネ五日間 
三、調査ノ範囲 県下戦災地一円
調査日其ノ他ニ付テハ所轄警察署労政係ニ御照会相成度  昭和二十年五月十五日 神奈川県 関東軍需整理部」
掲載:昭和20年5月 

アルミ貨引換方法周知の広告
アルミ貨供出については、海軍のお膝元横須賀でさえ市中で普通に流通していることを非難する記事が出るほど徹底していなかった。当局も必死でこんな対応も行っていた。

内容
「煙草店でアルミ貨を引換へます 
アルミ貨はその一枚一枚が航空機の翼となり発動機となり敵撃滅の新鋭機となる ◇引換煙草店は「アルミ貨簡易引換所」等適宜の掲示を店頭い出します ◇煙草店は引換者に対しアルミ貨五十個毎に五銭の手数料を支払います
煙草小売店へ ◇アルミ貨を引換へる煙草店は組合できめること ◇煙草店はアルミ貨を最寄りの銀行又は信用組合等の引換機関にて前同様の手数料を受取り引換ること この場合引換個数に付きその認印を受け、これを組合に出し後でアルミ貨百個毎に十銭の特別手数料を受取ること 
大蔵省 煙草販売組合中央会 中央物資活用協会」
掲載:昭和20年5月 

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