三軒家砲台

<沿革>横須賀市鴨居字三軒家
・明治27年起工
・明治29年竣工
・大正12年関東大震災により損傷、昭和2年復旧
・昭和9年除籍
・加式鋼製二十七センチ加農砲4門は明治29年竣工
・馬式十二センチ速射加農砲2門は、二十七加農砲台の側防用として明治28年竣工

<構造・現状>
二十七センチ加農砲座4基が一列に並び、その左一段下部に十二センチ速射加農砲2基を設置。砲座間には横墻が設けられ、その下部にレンガ造の砲側弾薬庫がある。第二砲座は潰され前面広場に出るための通路になっている。
速射加農砲台は、二十七センチ加農砲台の左手低地に位置し、石積み砲座が並列に2基設けられ、右横墻下部に弾薬庫があるが現在埋没している。
二十七センチ加農砲の左端横墻上に司令所観測室があり、円柱状の測遠機の台座が残っている。観測室下部はレンガ造付属室がある。窓はレンガで塞がれ、鉄扉がつけられている。
また、背後の山には掘割した2本の通路があり奥にはコンクリート造掩蔽部が2基残っている。
背後の階段を上った先に見張所と思われるコンクリート製円形基礎が残っている。これらは昭和の復旧工事で造られたものと推測している。 背部斜面には更に階段が続き砲台裏側の平地に至る。ここには昭和期に探照灯が置かれていたらしい。
現在、砲台跡は三軒家園地としてそのまま保存されている。砲座、地下弾薬庫、観測所、付属室、掩蔽部、井戸・便所跡、門等が一括して残っており、しかも、これらは明治期と昭和期の遺構が共存しているものであり、東京湾要塞の諸砲台のなかでも貴重な遺構となっている。

(二十七センチ加農砲座)

直径約10mの砲座が4基並ぶ

砲座内に残る迷彩模様

付属室と各砲座を結ぶ伝声土管

明治41年版地図

(地下弾薬庫)

砲側弾薬庫。両方向に階段

同左。内部

砲座間の横墻。地下に弾薬庫

弾薬庫上の通気口

 

(観測所)

観測所が設けられた左横墻

観測所。円柱は測遠機台座

付属室上の観測所へ上る階段

付属室正面

司令所の立面図及び平面図。立面図の赤線は手すりの推測。平面図の赤点線は付属室形状

付属室内部。内法4×7×3m

(後背部掩蔽部)

掩蔽部への掘割通路

掩蔽部。2基が並ぶ。

内部。入口は両側にある。

掩蔽部の反対側の入口

(12センチ速射カノン砲台)

砲座前面胸墻の石積み

砲座に残る砲固定用ボルト

砲側弾薬庫上の通気口

 

(その他遺構)

後背部見張所への階段

見張所

井戸跡

門柱。2本残る

このページのトップへ