<構造・現状>
二十七センチ加農砲座4基が一列に並び、その左一段下部に十二センチ速射加農砲2基を設置。砲座間には横墻が設けられ、その下部にレンガ造の砲側弾薬庫がある。第二砲座は潰され前面広場に出るための通路になっている。
速射加農砲台は、二十七センチ加農砲台の左手低地に位置し、石積み砲座が並列に2基設けられ、右横墻下部に弾薬庫があるが現在埋没している。
二十七センチ加農砲の左端横墻上に司令所観測室があり、円柱状の測遠機の台座が残っている。観測室下部はレンガ造付属室がある。窓はレンガで塞がれ、鉄扉がつけられている。
また、背後の山には掘割した2本の通路があり奥にはコンクリート造掩蔽部が2基残っている。
背後の階段を上った先に見張所と思われるコンクリート製円形基礎が残っている。これらは昭和の復旧工事で造られたものと推測している。
背部斜面には更に階段が続き砲台裏側の平地に至る。ここには昭和期に探照灯が置かれていたらしい。
現在、砲台跡は三軒家園地としてそのまま保存されている。砲座、地下弾薬庫、観測所、付属室、掩蔽部、井戸・便所跡、門等が一括して残っており、しかも、これらは明治期と昭和期の遺構が共存しているものであり、東京湾要塞の諸砲台のなかでも貴重な遺構となっている。