帝國軍艦扶桑征清之役忠死紀念碑(新善光寺) |
軍事遺物 |
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黄海海戦及び威海衛攻撃で戦死した扶桑艦乗組員6名の紀念碑。 碑文によると、この砲弾は、清国威海衛の百尺崖砲台に貯蔵されていたもので、台石は同砲台入口上部の額面石である。 明治29年8月に建立された。 扶桑とは、英国から購入した装甲艦で明治11年に就役し、日本海海戦にも参加、明治41年に除籍された。 砲弾長96p、高さ27.5p。台石高52p、幅118p、奥行48p。 所在:新善光寺(横浜市南区) (刻字) 碑正面: 「帝國軍艦扶桑征清之役忠死紀念碑 明治二十七年九月十七日黄海之役戰死 廣島縣海軍二等水兵 橋本松太郎 新瀉縣海軍二等水兵 近藤藤作 徳嶌縣海軍二等水兵 阪田又吉 福島縣四等信号兵 木村熊治 明治二十八年二月七日威海衛之役戰死 岩手縣海軍二等水兵 福原喜次郎 新瀉縣海軍二等水兵 山川忠太」 左側面: 「建設者 明治二十九年八月 大谷嘉兵衛 石井梁平 箕田長三郎 茂木保平 大谷幸兵衛 世話人 伊藤善吉」 右側面: 「一 来歴 西暦千八百八十六年ノ式 一 名稱 鋼鐵榴彈 一 質 鋼鐵 一 彈丸ノ重量 九拾壹貫三百貮拾匁 一 装薬ノ量 貮拾貮貫六百貮拾匁 一 砲口ニ於テ竰ハ力ハ鍛鐵板ノ厚二尺壹寸九分 一 彈着 七英里四分ノ三 一 石 壹個 此石 明治二十八年二月十七日清國威海衛陥落之節百尺崖ノ砲臺入口 (アーチ)ノ上部ニアリシ額面石ニシテ我艦隊ノ砲彈ノ為メ破壊セラレシ石斤」 裏面: 「此彈丸清國威海衛百尺崖砲壘 所貯而係我扶桑艦戰員所略奪 者也當其攻撃威海衛之時我将 卒而有戰死者令列刻其氏名於 丸面将永建於神奈川縣久良岐 郡久保山之陽以慰英魂頃者扶 桑艦戰員某来索余言義不可辭 也明治甲午清國渝盟於朝鮮國 扶桓之事敢開釁隙於是水陸遣 師整旅討之亦出於不得巳彼所 恃金城湯池破砕齎盡弗遺其跡 可以知死傷無算矣是非由我將 卒一死報圀之念篤且深孰能至 茲令也樽俎之闔ァ和議立成克 □平和情誼如故庶幾東洋之安 寧可得而楽爲獨此彈丸為當時 戰勝之遺物現存之我邦從委之 地下則何以特慰戰死将卒之心 於幽冥以彰表厥精忠哉此所以 有斯譽也爰明其縁由誌之碑□ 明治丙申八月 神奈川縣知事正四位二等中野健明 撰文 東京 家本□書 横溝豐鐫」 |
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