軍国内外多事ノ秋我社創立十周年ニ値フ我等ハ此ノ際皇運ノ進展ニ寄與セル盡忠靖国ノ士ヲ追慕シ其ノ遺烈ヲ景仰スルノ情轉タ切ナルモノ有リ乃チ社員□謀リ石燈壹雙ヲ祠前ニ献納シテ神恩ヲ敬謝シ更ニ 寶祚ノ無窮ヲ守護ニ奉ラムコトヲ祈請ス若シ夫レ礎石ニ鐫セル鏖戰奮闘ノ圖ヲ観テ感憤興起シ義勇奉公ノ念ヲ新ニスベキハ竊ニ之ヲ後頸ノ士ニ望ムアリト云爾
昭和十年十一月二十二日
富國徴兵保險相互會社
取締役社長 根津嘉一郎 謹記
神門の前に左右に聳えたつ大灯籠、花崗岩製で、基壇格板と火袋障子は銅板製。
基壇の平面は八角形で、8枚の格板には、それぞれ浮彫が施され、向って左の灯籠は陸軍、右の灯籠は海軍の歴史的事跡を描いている。昭和10年11月22日の建立、設計は著名建築家の伊東忠太。富国徴兵保険相互会社の奉納である。
伊東忠太は、東京市震災記念堂や築地本願寺など独特の様式をもった建物を設計しているが、靖国神社では、灯篭の他に、石鳥居(昭和8年)と両脇の狛犬(昭和8年)及び神門(昭和9年)が伊東博士の作品である。
所在:靖国神社(千代田区)
軍国内外多事ノ秋我社創立十周年ニ値フ我等ハ此ノ際皇運ノ進展ニ寄與セル盡忠靖国ノ士ヲ追慕シ其ノ遺烈ヲ景仰スルノ情轉タ切ナルモノ有リ乃チ社員□謀リ石燈壹雙ヲ祠前ニ献納シテ神恩ヲ敬謝シ更ニ 寶祚ノ無窮ヲ守護ニ奉ラムコトヲ祈請ス若シ夫レ礎石ニ鐫セル鏖戰奮闘ノ圖ヲ観テ感憤興起シ義勇奉公ノ念ヲ新ニスベキハ竊ニ之ヲ後頸ノ士ニ望ムアリト云爾
昭和十年十一月二十二日
富國徴兵保險相互會社
取締役社長 根津嘉一郎 謹記
明治廿七八年役 廣島大本営
明治二十七年九月十五日大元帥陛下廣島大本営
ニ入ラセラル
清國事變 天津城ノ攻撃
明治三十三年七月十四日拂暁我軍ハ天津城
南門ヲ破壊シ更ニ其第二門ヲ排シ突入シテ
天津城ヲ占領セリ
明治三十七八年戰役 奉天入城式
明治三十八年三月十五日大山満洲軍總司令官
其幕僚ト共ニ奉天入城ノ光景
大正三年乃至九年戰役 装甲列車ノ戰闘
大正九年五月一日西伯利チタ附近ニ於ケル
第五師團装甲列車戰闘
満洲事變 熱河長城攻撃
昭和八年三月我軍ハ長城ノ線ヲ攻撃シ歩兵
第十六旅團ハ三月十日午後五時三十分古北口
附近ノ一角ヲ占領セリ
昭和六年乃至九年事變 爆弾三勇士
昭和七年二月二十二日拂暁歩兵第二十四聯隊
第一大隊ノ廟巷鎮攻撃ノ際工兵第十八大隊第二
中隊江下武二北川丞作江伊之助突撃路爆破ノ
状況
臺灣理蕃
明治四十一年十二月七脚川社討伐ニ際シ警官隊
ノ戰闘
献納
富國徴兵保險相互會社
代表取締役 根津嘉一郎
同 伊豆凡夫
同 吉田義輝
設計並監督 伊東忠太
浮彫銅板製作監督 正木直彦
同補助 田邊孝次
浮彫銅板製作 小倉右一郎
同 畑正吉
同 齋藤素巖
同 吉田久繼
同 和田秀雄
火舎銅扉製作 香取秀眞
石工 出口福松
黄海海戰
明治二十七年九月十七日我聯合艦隊清國北洋
水師ヲ撃破ス
第二回旅順口閉塞
明治三十七年三月二十七日福井丸指揮官廣瀬
中佐松野兵曹長ヲ求メツツ短艇ニ移ル刹那ノ光
景
日本海海戰
明治三十八年五月二十七日東郷司令長官露國
艦隊ヲ撃破ス
我第二特務艦隊地中海遠征
大正六年聯合諸國海軍ト協同会場交通線ノ確
保ニ任ス
上海附近ノ空中戰
昭和七年二月二十二日蘇州上空ニ於テ我航空
戰隊所属飛行機敵機ヲ撃墜ス
上海事變勃發
昭和七年一月二十八日我海軍陸戰隊ハ十倍
ノ敵ニ當リ武威ヲ發揚ス
救護
兵站病院ニ於ケル日本赤十字社救護看護婦ノ
活動