・横須賀軍港水道の源は、明治9年、横須賀製鉄所の所長ヴェルニーが走水から引いた水道です。これは走水系統といいます。
・しかし、海軍施設の拡大による膨大な水道需要を走水水源だけでは賄えなくなり、遠く県央中津川の半原に水源を求めました。これが半原系統で、工事は明治45年に着工し、大正7年に通水しました。ルートは、半原〜逸見浄水場になります。
・この送水管が通っているルート、いわる送水管路は「横須賀水道みち」と呼ばれており、実際にほとんどが道路になって使用されています。その敷地には海軍水道用地を示す標石が設置されました。
・標石は、一辺が20センチのコンクリート製の角柱で、表面に海軍の2重波線の下に「海」の文字が刻まれているものと(これは、相模川から逸見までの間に見られます。)、15センチ角で「海」の文字だけのもの(相模川から半原間に見られます。)と、このほかに、数は少ないのですが「海軍用地」と刻まれているものと3種類あります。半原系統は大正10年に完成しているため、これらの標石も同時期のものと推測されます。
・このほかに海軍時代の遺構としては、「海軍マーク」や「海軍」の文字が入った止水栓等のマンホールの蓋が見られます。
・標石は、現在も水道路沿いに、かなりの数が残っており、その他の水道遺構とあわせて紹介します。
最初は、逸見浄水場から国道16号とJR横須賀線の交差地点付近までを紹介。JR横須賀線ガード先からは、国道16号と別れJR横須賀線に沿って進んでいきます。
逸見浄水場には入れないため浄水場の周囲に標石があるかは確認できませんが、浄水場への坂の途中や下に確認できます。京急線ガード下の2基は「海軍用地」碑です。国道16号上には標石は1基のみ確認できました。
なお、逸見から田浦まで国道16号(かっての国道31号)には、5つの隧道がありますが、名称に「新」がついているほうが水道路です。大正7年には民間の通行が許可されました。国道31号は、金沢から逸見まで7本のトンネルを開通させ、昭和3年に完成したのですが、その後の交通量の増大により、水道トンネルを拡幅し複線化することになり、昭和17年から19年にかけて工事が行われました。 |