横須賀重砲兵連隊の敷地標石である。将校集会所(偕行社)のあった辺りに残されている。
御影石製で幅25p、奥行23pと正四角柱ではない。刻字は写真では不鮮明だが「陸軍省/所轄地(所は異体字)」と2行で刻まれているのが珍しい。
重砲兵連隊は、要塞砲兵第一連隊として明治24年に現在の不入斗の地に兵舎を新築して移転している。従って、この頃に建てられたのでは推測される。
陸軍用地の境界標石は時代が下ると「陸軍用地」と刻されているため、明治期の標石と考えている。
横須賀重砲兵連隊の敷地標石である。将校集会所(偕行社)のあった辺りに残されている。
御影石製で幅25p、奥行23pと正四角柱ではない。刻字は写真では不鮮明だが「陸軍省/所轄地(所は異体字)」と2行で刻まれているのが珍しい。
重砲兵連隊は、要塞砲兵第一連隊として明治24年に現在の不入斗の地に兵舎を新築して移転している。従って、この頃に建てられたのでは推測される。
陸軍用地の境界標石は時代が下ると「陸軍用地」と刻されているため、明治期の標石と考えている。