記念スタンプ

観 光

今も昔もPRの手段として記念スタンプが活用されている。代表的なものは観光PRのために製作される郵便局や駅のスタンプがある。 横須賀では、軍港の特殊性から進水式や観艦式等のイベント記念スタンプが多く製作されたようである。 このような記念スタンプ、あまり古いものではなく、郵便局の風景印、駅記念スタンプともに昭和初年に始まったものである。

横須賀観光協会の記念スタンプ
昭和10年10月10日から使用開始された横須賀観光協会製作の記念スタンプである。 横須賀駅に備えられ観光客が自由に押印できた。
横須賀観光協会は、遊覧客(観光客)の誘致を目的として、この年の7月26日に設立されたばかりの組織であり、会長には横須賀市長、副会長には商工会議所会頭が就任している。
図案は、戦艦の主砲越しに望む水平線に一隻の軍艦が浮かび、湧き出る雲の上には海軍機が飛翔している。文字は「観光協会」及び「軍港・横須賀」とあり、まさに軍港が観光資源であったことがうかがえる。

横浜復興博の記念スタンプ
昭和10年3月26日から5月24日までの2か月間、横浜市は関東大震災の復興事業として、山下公園を会場として「復興記念横浜大博覧会」を開催した。
山下公園は、震災の瓦礫などを使って海を埋立てて造成した公園で、昭和5年3月15日に開園した。
この博覧会の宣伝を目的として2種類の記念スタンプが制作され、博覧会事務の文書等に使われた。
図案は、いずれも山下公園の風景(噴水)と桟橋に停泊する客船を描き、文字は「横浜復興博 昭和十年 山下公園」である。

丹那トンネル開通の記念スタンプ
東海道本線のスピードアップに大きく貢献した丹那トンネルは、16年5ケ月の歳月と2500万円の巨費と67名もの尊い犠牲のもと昭和9年12月1日開通した。 東口の熱海町、西口の三島町をはじめ沿線の各まちでは、それぞれ歓喜の催しを繰り広げた。
熱海と三島の記念スタンプであるが、いずれもトンネルから抜け出たEF53形電気機関車の勇姿を描いている。熱海版では工事労働者の姿を、三島版では函南駅に建てられた丹那隧道工事殉職者慰霊碑を併せ描いている。

大楠町町制施行の記念スタンプ
三浦郡西浦村は昭和10年7月1日より大楠町に名称変更の上町制を施行することとなった。 当時は、避暑、避寒の適地といわれ著名人の別荘が数多く建てられていた気候温和風光明媚の地であった。
図案は、町名に取り入れられた三浦半島の最高峰、緑豊かな「大楠山」を描いたもので、7月1日から希望者に押捺させた。

市民ハイキングの記念スタンプ
横浜市の主催で昭和10年10月20日に開催された「?市民ハイキング」を記念したスタンプ。参加記念として作成された。
?がついていることから分かるように行先秘密のミステリーハイキングで、第一コースは、保土ヶ谷市電停留所をスタートし、西谷浄水場を通過して鶴ヶ峰までのコースであった。参加者は5000人と大盛況であったようだ。
図案は、秋の気配漂う山道を歩いているファミリーと、道沿いの三角テントからは炊爨の煙が起ち上っている長閑な図柄である。
後援は少年団横浜連盟。

選挙粛正のスタンプ
昭和11年2月20日に投票される第19回衆議院議員総選挙に向け、松田警察署が作成した選挙粛正を啓発するためのスタンプ。松田署から発送される文書には、昭和10年12月24日から全て押印することになった。
図案は、国政選挙を表す富士山に太陽というシンプルなもので、「選挙粛正」、「よき明るさ」、「日本」という文字が並ぶ。選挙粛正とは、不正選挙を防止するための選挙浄化運動のことである。

建国祭の記念スタンプ
昭和11年2月11日、皇紀2596年の建国祭を祝う記念スタンプ。横浜市連合青年団が作成したもので、 当日、伊勢山皇大神宮で捺印された。
図案は、伊勢山皇大神宮の社殿と鳥居、大正15年に再建された「照四海」と呼ばれた常夜灯を描いたものと(文字は横浜市青年連合団・昭和十一年建国祭記念・伊勢山皇大神宮)、日本地図にペリー来航と思われる黒船を描き、前面に金鵄の乗った建国祭の幟を配し、輪郭は八咫の鏡という神聖なデザイン(文字は紀元二五九六年 横浜市青年連合団)の二種類が作成された。

お花見の記念スタンプ
横浜市電気局が作成した花見の記念スタンプ。昭和11年4月9日から期間中、市内4カ所の桜の名所に設置した無料休憩所で無料で捺印させた。
@豊顕寺は神奈川区三ツ沢にあり、現在は市民の森として静かな佇まいをみせているが、当時、花見の時期はどんちゃん騒ぎで有名な場所であった。図案は桜に埋もれた本堂の屋根を描いている。
A桜ケ丘は、保土ヶ谷駅の西に広がる高台で大正8年頃から岡野欣之助氏によって開発された住宅地である。まず道路が作られ、大正10年頃に道路の両側に桜が植樹されたもので、この頃には茶店が並ぶ桜の名所となっていた。 図案は、高台から望める富士を描いたシンプルなもの。
B掃部山は、桜木町駅北西の高台で、明治42年の横浜開港50年記念に井伊直弼の銅像が建立されたことから、官位である掃部頭をとって、掃部山と呼ぶようになったもの。大正3年に公園として整備された。ここは八重桜が多いため、少し遅れて賑わった。 図案は、井伊直助像と工都を象徴する煙突から煙を吐き出す工場地帯の遠景を並置している。
C三溪園は、いわずもがな明治39年に開園した横浜を代表する庭園。当時も今も桜の名所として有名で、桜のトンネルの下は大勢の花見客で溢れた。 図案は、定番、大池から望む旧燈明寺の三重塔である。

大楠山登山記念スタンプ
大楠町では、県立公園化を目指していた三浦半島の最高峰大楠山の宣伝の一環として、登山記念として記念スタンプを作成し、昭和11年4月15日から遊覧者に押捺させた。
図案は大楠山の雄大な山並みを描いており、文字は、「大楠山登山記念 11.4.15」とある。

防空演習の記念スタンプ
昭和11年7月20日から24日まで5日間行なわれた3市(東京、横浜、川崎)の防空演習を前に、中区防護団が作成した記念スタンプ。 6月中旬に作られ、宣伝のためにあらゆる物に押印する目的という。
図案は、飛来する敵機に向けて高射砲が炸裂し、街は煙で充満しているという臨場感あふれる絵柄に、ガスマスクを付けた団員を配した非常時ならではの図柄である。
文字は、「護れ大空輝く日本 横浜市中区防護團」とある。

観艦式の記念スタンプ
昭和15年10月11日に、横浜沖で挙行された、紀元2600年特別観艦式のために、横浜市が制作した記念スタンプ。市は横浜港を囲むように、市内の山手に3カ所、浦島が丘に1カ所、生麦に1カ所の計5カ所に拝観所を設置し、一般見学者の便を図ったが、各拝観所に備えて押印させた。
図案は3種類で、@左手は、中央下部に御召艦である「比叡」の艦影を配し、上部には「紀元二千六百年」の文字と横浜市の市章、「特別観艦式」の文字、その左右を鳳凰で飾っている。
中央は、現存する開港記念館の時計塔と整列する艦船を描いている。特に、記念館に掲げられている旗は、日章旗とドイツのハーケンクロイツ、イタリア王国旗であり、9月に成立した日独伊三国同盟を表わしている。
B右手は、軍艦旗を中心に鳳凰で囲み、羽の先端が錨になっている。

皇紀2600年の記念スタンプ
横浜市電気局では、皇紀2600年を記念して、式典・祝典が行われる昭和15年10日〜11日の両日、尾上町の案内所で奉祝記念スタンプを押印させた。図案は、日章旗と奉祝の横断幕を掲げた記念電車と紀元2600年の幟、横浜を象徴する開港記念館の時計塔を描いている。

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