森永ミルクキャラメルの広告
昭和2年10月30日に横浜港外で挙行された昭和天皇最初の大観艦式を記念して掲載された広告である。
艨艟、鵬翼といった勇ましい文字が踊り、盛大な観艦式の様子を表現し、最後にキャラメルと結び付けている。
因みに、この時の御召艦は戦艦陸奥である。
内容
「森永ミルクキャラメル
壮観!!
艨艟(もうどう:軍艦)海を壓し 鵬翼(ほうよく:飛行機の翼)天に舞ふ
東京湾頭必携の糧」
掲載:昭和2年10月30日
森永ミルクキャラメルの広告
昭和2年10月30日に横浜港外で挙行された昭和天皇最初の大観艦式を記念して掲載された広告である。
艨艟、鵬翼といった勇ましい文字が踊り、盛大な観艦式の様子を表現し、最後にキャラメルと結び付けている。
因みに、この時の御召艦は戦艦陸奥である。
内容
「森永ミルクキャラメル
壮観!!
艨艟(もうどう:軍艦)海を壓し 鵬翼(ほうよく:飛行機の翼)天に舞ふ
東京湾頭必携の糧」
掲載:昭和2年10月30日
森永爆弾チョコレートの新発売の広告
時代背景としては、前年の昭和6年9月に柳条湖事件が起こり、満州事変へと拡大、掲載された1月〜2月頃には関東軍はほぼ満州全土を占領、3月には満州国の建国が宣言されている。
昭和6年10月8日には、関東軍の爆撃機12機が錦州を爆撃している。
そんな時代を象徴するように爆弾型のチョコレートであり、コピーも、時代を表現した内容である。当時チョコレートは栄養食の位置づけであったことがわかる。
内容
「新発売 森永爆弾チョコレート
赤い夕陽も…………凍る満州に皇軍衝天の意気を象る爆弾チョコレート
純粋のクリームを秘めた爆弾型のチョコレート
★最も近代的な超高速度栄養糧
栄養の爆発!一個☆十銭」
掲載:昭和7年1月
森永キャラメルの広告
当時は、中国への空撃が盛んに行われていた時期であり、それに伴い搭乗員の戦死も増加し、搭乗員養成も急務であったと思われる。
そんな時勢を反映したのか、キャラメルと搭乗員養成を組み合わせた広告である。あどけないパイロットの背後に爆撃機の機影を配した軍国色豊かなデザインである。
内容
「父子(おやこ)二代(だい)の勇士(ゆうし)を作れ(つく)!
森永ミルクキャラメル」
掲載:昭和14年5月
森永ビスケットの広告
森永の広告は、軍事色が強く、兵器のイラストを使ったものが多いが、子供に人気なのであろう。防空壕内の食事に相応しいというくだりから、防空訓練が頻繁に行われていたことが伺える。
内容
「戦争に必要だ!
ビスケットは戦時の食物として工夫され又発達して来たものですから、日本に於ても永く保存の出来る食物としてもっと皆がビスケットを食べる習慣をつけねばなりません 特に防空壕の中ではビスケットが第一の食物です。十銭より・森永製菓株式会社」
掲載:昭和16年7月