昭和9年に設立された海軍用航空機の生産を目的とした会社。大戦末期には秋水の製造に関わったが、最多生産は赤とんぼ。現在も存続。
内容
「征け大空の決戦場 日本飛行機株式会社 来れ飛行機生産場へ」
掲載:昭和18年10月
神奈川新聞においては、国策をテーマにした企画連合広告は太平洋戦争に入って初である。所謂、名刺広告と同じようなものだが、予めイラストを定めたひな形を用意して、広告主を募ったのであろう。標語が広告主に相応しい内容になっているのがとても興味深い。戦争末期になるにつれ連合広告から企業単独広告になっていくが、その文言は戦意高揚から増産、特に飛行機の増産に変化していく。また、国策にのっとった告知広告や国家統制のもとで国策協力機関として設立された各種統制組合等の広告も紹介していく。
広告主を見ると鶴見地域所在の会社や学校である。横浜市立鶴見工業学校とは、昭和11年横浜市立鶴見工業実習学校として創立、昭和15年に同名に改称、昭和23年横浜市立鶴見工業高等学校となり現在に至る。
内容
「家も職場も科学の校舎 協和化学工業株式会社鶴見工場 報国の誠で築け商業陣 神奈川県自動車小売商業組合 一億が国の手となれ足となれ 横浜市立鶴見工業学校 水禍も国難愛護で防げ 鶴見川水害予防組合 決戦だ!持場持場で御奉公 東洋真空工業株式会社 節約は気持ち一つでまだ出来る 鶴見瓦斯株式会社 戦線も銃後も汗の共苦労 鶴見工科青年学校」
掲載:昭和18年7月
軍港都市横須賀版である。さいか屋の戦闘機のイラストは、駿河銀行の18年6月の広告と同じもので使い廻しである。流行なのか「進軍」という言葉が多用されている。
内容
「二百七十億貯蓄総進軍 横須賀市銀行組合一同 決戦だ!米英撃滅総進軍 横須賀市会議員一同 糧食確保大進軍 横須賀海軍糧食商組合 貯蓄目標達成 神奈川県洋紙商業組合員 神奈川県和紙商業組合員 株式会社村松商店 日本印刷文化協会々員 横須賀市官納商業組合員 村松印刷株式会社 横須賀市大瀧町 米英撃滅決戦生活確立 実用雑貨配給店 株式会社さいか屋 横須賀市東郷通り 電話〜 米英必滅 輸送に邁進 相模運輸株式会社 横須賀市若松町九二 電話〜 生産増強・商業報国 横須賀商工会議所」
掲載:昭和18年7月
工業川崎版である。川崎大師も広告を出しているが、標語はやはりである。池貝自動車製造とは、昭和12年に設立された会社でディゼール自動車を製造していた。また、日蓄工業とはレコード会社の日本コロムビアであるが、敵性語排斥のため昭和17年に改称していたのである。
内容
「アッツ島の忠魂にこたへよ! 池貝自動車製造株式会社 米英撃滅に先づ増産 川崎市東京製線産業報国会 征け米英にとどめ刺すまで 川崎市東京機器工業株式会社 この一戦何が何でもやりぬくぞ 川崎市昭和電線電纜株式会社 アッツ島の復讐を忘るゝな! 日蓄工業株式会社川崎市 仰げ忠魂讃えよ偉勲 川崎大師平間寺 増産に米英を撃つ玉の汗 日本電線川崎工場産業報国会」
掲載:昭和18年7月
二回目の軍港都市横須賀版であるが、コマ割りが細かくなって出稿数を増やしている。横須賀魚市場の標語は「護れ海国制海権確立」であり、さすが軍港都市である。
内容
「一路!必勝態勢 横須賀商工会議所会頭松田徳太郎 何が何でも勝ち抜く決意 横須賀商工会議所議員一同 決戦生活生産増強 横須賀酸素株式会社 横須賀市公郷町一四一 電話〜 産業増強米英必滅 関東瓦斯株式会社横須賀出張所 横須賀市若松町七〇番地 食糧増産に大進軍 株式会社横須賀食品市場 横須賀市若松町海岸 電話〜 護れ海国制海権確立 株式会社横須賀魚市場 横須賀市小川町十三 電話〜 体育強錬保育に進軍 市立横須賀病院 洲崎敬三 貯蓄増強一億総進軍 横須賀信用組合 横須賀市大瀧町九 電話〜 米英撃滅、体力増強 横須賀牛乳販売有限会社 横須賀市若松町八四 電話〜 決戦生活、生産増強 横須賀繊維製品小売商業組合 理事長 岡本伝之助 横須賀市小川町二八 電話〜 」
掲載:昭和18年7月
三回目の軍港都市横須賀版である。海軍のまちらしく海軍御用商が複数出稿している。
内容
「戦力増強、一億総進軍 土木建築請負業 合資会社花崎組 横須賀市公郷町二、二二九 電話〜 打て米英戦時生活実践 横須賀証券合資会社 横須賀市大瀧町九番地 電話〜 国民皆労経済戦力増強 横森商事有限会社 横須賀市若松町二一 貯蓄に邁進 必勝へ大進軍 小久保納品部 保険部 営業部 横須賀市小川町四 電話〜 米英必滅、護れ海洋 海軍御用和田邦一商店 横須賀市諏訪町四 電話〜 謝皇軍敢闘 戦力増強 合名会社日ノ出商会 代表社員木原新一 横須賀市旭町十五 宿敵必滅 護れ大空 海軍御用商 三吉商店 横須賀市大瀧町四十六 電話〜 生産培養・糧食確保 浅昼g之助 横須賀市旭町十五 増産増強、健民錬成 海軍御用精米業 美川鹿治郎 横須賀市汐留町三一電話〜 戦時生活 経済戦力培養 山田さいか屋 店主山田清六 横須賀市深田町米ケ浜電話〜」
掲載:昭和18年7月
産業報国会版。産業報国会とは、事業所ごとにつくられたが労働組合とは異なり、労使が一体となって戦争に協力、つまり増産を追求していくための組織。広告主は横浜の軍需工場の産業報国会である。
内容
「決戦へ 征け鉄壁増産陣 日本ハマライト株式会社産業報国会 戦場でも米英相手の生産戦 佐倉鋼鉄工業株式会社産業報国会 決戦だ!持場持場で御奉公 株式会社日立製作所戸塚工場産業報国会 生産も米英に負けてなるものか 日本光学工業株式会社産業報国会 忠魂に応えて先づ増産だ 白旗内燃機製作所産業報国会 あがる戦果に感謝の皆労 日本発條株式会社産業報国会 増産は俺らの腕から職場から 神奈川□□株式会社産業報国会」
掲載:昭和18年7月
四回目の軍港都市横須賀版。回を重ねたせいか、個人名での広告もある。標語は過去からピックアップして組み合わせ直したようなものが多い。
内容
「決戦だ 宿敵必滅総進軍 株式会社興電舎 横須賀市山王町六 電話〜 体力培養、仰げ忠魂 湘南飲料株式会社 横須賀市大瀧町三六 電話〜 決戦だ戦時生活確立 山田稔 横須賀市深田町一八 電話〜 決戦だ・貯蓄だ 一億総進軍 栗山量平 横須賀市公郷町二四九五 米英必滅、大進軍 小林睦会本部 小林天龍 横須賀市大瀧町四五番地 食糧確保 銃後総進軍 横須賀麺業組合 横須賀市安浦町一ノ一 電話〜 自給自足 決戦生活確立 隣保会館食堂 石黒寿作 横須賀市小川町一 電話〜 米英撃滅・職域奉公 壽徳庵 柴山□一郎 横須賀市不入斗橋際 電話〜 生産増強商業報国 港月 横須賀市旭町一六 電話〜 忘るな・アッツの忠魂 尾張屋 山田□一 横須賀市汐入町三 電話〜」
掲載:昭和18年7月
貯蓄目標をテーマにした企画連合広告広告。面白いのは二百七十億の「七」を修正しているところ。理由はお考え下さい。対象は平塚・藤沢の事業者などである。平塚高等家政女学校は、大正14年創立の家政塾が前身で、改称を繰り返したが現在の鵠沼高等学校である。
内容
「二百七十億貯蓄総進軍! 関東配電工事代理店 合資会社東光商会 平塚市平塚新宿〜 相模瓦斯株式会社 平塚市平塚新宿一五〇番地電話〜 文部大臣認可平塚高等家政女学校 平塚市馬入 電話〜 平塚商工会 平塚市農会 小倉化学工業所 小倉久武 藤沢市川名六五番地 日本精工株式会社藤沢工場 神奈川県醤油統制株式会社」
掲載:昭和18年7月
五回目の軍港都市横須賀版。出稿者も会社、団体、個人、飲食店と同じような割合になっている。因みに、昭電社は現在も続いている会社である。
内容
「決戦だ 戦時生活確立 株式会社昭電社 横須賀市春日町一九 電話〜 米英撃滅、決戦映画報国 財団法人大日本興行協会神奈川県支部横須賀分会 生産増強、築け大東亜 横須賀、三浦洋服商協和会 事務 横須賀市大瀧町九 電話〜 戦は之からだ 戦時生活実践 丸中家具店 横須賀市諏訪町三一 電話〜 決戦だ、戦時生活実践 土方栄吉 横須賀市若松町七九 電話〜 健民錬成 必勝へ総進軍 松島厚吉 横須賀旭町五〇 電話〜 体力培養、守れ大空 野口渉 横須賀市若松町 電話〜 宿敵打倒 職域奉公 だるま食堂 高橋與四太郎 横須賀市大瀧町一〇 電話〜 米英を撃て 戦は之からだ うら舟 長谷川忠一 横須賀市若松町 電話〜 皇軍に感謝・守れ大空 安浦さらしな 電話〜」
掲載:昭和18年8月
六回目の軍港都市横須賀版。特に、所在が春日町(現、三春町)の会社が目立つ。今回は、業務内容が標語に反映しているところが多く、「増油確保大進軍」と訴えている吉澤油化工業は現在の吉澤石油、大正12年創業の横須賀老舗企業である。また、3つの学校が参加しているが、三浦中学は現三浦学苑高校。横須賀商業学校は、昭和19年に横須賀市に移管され市立商業学校となり、のちの横須賀総合高校の前身の一つである。横須賀高等工学校は、昭和2年創立の電気技術を教授する学校であったが、終戦とともに廃校になった。
内容
「謝皇軍敢闘 吉村砂利興行株式会社 横須賀市若松町一番 電話〜 決戦だ!米英必滅 輸送に邁進 横須賀運送株式会社 横須賀市日之出町一ノ一二 電話〜 建艦増強 必勝へ総進軍 大M鉄工所 大M乙吉 横須賀市春日町一ノ二〇 電話〜 決戦だ 米英撃滅総進軍 佐々木鉄工所 佐々木秀吉 横須賀春日町一ノ二七 電話〜 米英必滅・戦力増強大進軍 山口製作所 山口實 横須賀市春日町三ノ四〇 電話〜 増油確保大進軍 神奈川県石油配給株式会社横須賀第一配給所 吉澤久藏 横須賀市若松町七二 電話〜 吉澤油化工業有限会社 電話〜 体育強錬 大東亜建設 佐野件治 横須賀市公郷町二一四六番地 謝皇軍敢闘 生活文化の昂揚 財団法人三浦中学校 高橋恭一 横須賀市金谷町一八一 電話〜 決戦だ 国民皆労必勝へ邁進 横須賀商業学校 大塚孝子 横須賀市公郷町五一六 電話〜 征け・陸に海に大空へ 横須賀高等工学校 石川小太郎 横須賀市春日町二ノ二 電話〜」
掲載:昭和18年8月
横浜護謨製造株式会社とは、大正6年創業のゴム製造会社で現在のヨコハマゴム鰍ナある。鶴見に工場があり太平洋戦争中にはゼロ戦のタイヤを製造していた。鶴見工場は空襲で被災し、戦後は平塚に生産拠点を移した。日産農林工業株式会社は、昭和9年創業の木材会社で現兼松サステック。マッチ製造で知られる。
内容
「増産へあげよ職場の意気々熱 横浜護謨製造株式会社 決戦だ熱だ力だこの腕だ 日産農林工業株式会社 林業部鶴見工場 増産が蔭で後押す大戦果 日本曹達株式会社 横浜ニッケル工場 決戦へ 征け鉄壁の増産陣 株式会社十全商会横浜工場」
掲載:昭和18年8月
プレス工業とは、大正14年創業、昭和12年川崎に本社を移転した今に続く自動車部品製造会社である。実業駅伝で知られるあのプレス工業である。川崎窯業は日本鋼管(現JFEエンジニアリング)に合併、徳永硝子は日本板硝子に合併、日清製粉と三菱化工機は現在にそのまま続いている。何れも京浜工業地帯所在の製造工場であった。
内容
「御稜威の基に吾等あり吾等断じて捷たん プレス工業株式会社 決戦だ 空の護りだ増産だ アッツ島の復讐を忘るゝな! 川崎窯業株式会社 汗が矢弾だ 体が武器だ 徳永硝子株式会社川崎工場 征け米英にとどめ刺すまで 日清製粉株式会社鶴見工場 働こう英霊の分兵の分 日本油脂株式会社川崎大豆工場 一億がみんな興亜へ散る覚悟 三菱化工機株式会社川崎製作所」
掲載:昭和18年8月
第七回の横須賀版である。今回は、軍港横須賀ならではの出稿団体が並ぶ。異色なのは須賀眼鏡店。眼鏡店だけあって標語に「視力培養」の言葉。確かに防空監視には必要であった。
内容
「決戦だ!銃後は貯蓄だ!二百七十億円総進軍 神奈川県特定郵便局横須賀部会 銃後も決戦だ 食料増産、戦時生活確立 横須賀食料品小売商業組合 横須賀市大瀧町三□ 電話〜 戦時だ!勤労奉仕だ 決戦生活総出陣 横須賀新門本部 四代目 登坂亮一 横須賀市若松町五〇(電気館裏) 貯蓄に 防空に 視力培養・生産増強 眼鏡専門横須賀眼鏡店 座間智博 横須賀市深田三十四(平坂上) 米英必滅 戦時生活確立 横廠報国団長浦支部会館 建艦増強・体力培養 守れ大空 横須賀海軍工廠指定食堂組合 謝皇軍敢闘 国民皆労総進軍 軍港飲食業組合カフェー部 戦はこれからだ 銃後も決戦総進軍 軍港飲食業組合喫茶部 決戦だ!!米英撃滅 勝ち抜く決意 軍港飲食業組合食堂部 皇軍に感謝 銃後国民総進軍 釜鳴屋 富沢栄松 横須賀市船越一一九 電話〜」
掲載:昭和18年8月
県内の航空産業に特化した連合広告。東京航空計器株式会社は現在も継続している。明治29年創業の和田計器製作所を前身とし、その後、東京計器製作所となったが、大正6年に 光学部門を分離し、日本光学工業株式会社を設立、昭和12年に 航空部門を分離し、ここに東京航空計器株式会社が設立された。国内最大の航空機用航法計器メーカーであった。
日本飛行機株式会社も現在も続いており、主に航空機の部品の造修を行っている。石川島航空工業株式会社は、石川島造船所が昭和16年に飛行機エンジン専門の工場として設立したもので、現在のIHIである。
日本国際航空工業株式会社は昭和16年に設立された、航空機製作のメーカであるが、戦後、鉄道車両及び自動車車体製作に転換した。現在の日産車体である。
内容
「決戦だ示せ翼の生産力! 制空必勝 一機も多く前線へ
東京航空計器株式会社 川崎市木月二二〇〇番地 日本飛行機株式会社 横浜市磯子区富岡町 石川島航空工業株式会社 横浜市磯子区富岡町 日本国際航空工業株式会社 平塚市島入字天沼」
掲載:昭和18年9月
昭和9年に設立された海軍用航空機の生産を目的とした会社。大戦末期には秋水の製造に関わったが、最多生産は赤とんぼ。現在も存続。
内容
「征け大空の決戦場 日本飛行機株式会社 来れ飛行機生産場へ」
掲載:昭和18年10月
大日本兵器は主に海軍の航空機機関銃の製造、湘南工機は兵器製造のための工作機械の製造を行っていた。
内容
「工作機械は航空兵器の母 大日本兵器株式会社 湘南工機工場」
掲載:昭和18年10月
昭和8年設立の自動車製造鰍ェ前身。翌年、日産自動車鰍ノ改称した。ダットサン乗用車、ダットサントラックを製造。ダットサンの名前は、出資者の田、青山、竹内の頭文字に太陽のサンを組み合わせたもの。
内容
「来れ!機械化部隊増強 決戦の職場へ
日産自動車株式会社」
掲載:昭和18年11月
今のエネオスの前身の一つでで、明治21年に創業。日石と呼ばれ、かっては、日本の石油元売最大手の企業であった。
内容
「空の決戦!石油戦だ!!
日本石油横浜製油所」
掲載:昭和18年11月
昭和14年に 日本電気工業(株)と昭和肥料(株)が合併したできた化学工業会社。昭和肥料は、昭和6年国産初の硫安を製造、日本沃度(日本電気工業の前身)は昭和9年に 国産アルミニウムの工業化に成功した。戦中は軍需工場として全国各地の工場で様々な軍需物資を製造した。
内容
「アルミナ増産! 大戦果!!
昭和電工株式会社 〇〇工場 電話神奈川(4)三一三一番 三一三七番」
掲載:昭和18年11月
神奈川県下の4企業の連合広告。共通のテンプレートの中で独自性を出そうしているが、女性労働力の期待が顕著である。また、4社中、3社が造船増強をうたっている。
内容
「今日も決戦!!明日も決戦 さ全員戦闘配置に 神奈川県下 東亜特殊製鋼株式会社 戦力増強 決戦の海へ一隻でも多く船を送ろう
御威の基に吾等あり 吾等断じて捷たん さあ今日も又増強に励まん 神奈川県下 株式会社 日立製作所 戦力増強 敵も必死だ!増産へ増産へ!遮二無二進もう!
女子皆働 一億戦闘配置に 神奈川県下 白幡内燃機製作所 戦力増強 西南太平洋へ一隻でも多く船を送ろう
男女も一億戦闘配置に! 神奈川県下 国華産業株式会社 戦力増強 敵の船舶建造は莫大な数字だ!生産戦でも戦い抜こう
」
掲載:昭和18年11月
日本発送電株式会社とは、電力事業を国家統制するために昭和14年に設立された国策会社。昭和26年まで存在した。半官半民であるが事実上の国営会社であり、発電と送電部分を担当した。戦後は解体され、9電力会社に分割された。
配電も国家統制のもとに置かれ、昭和17年に9つの配電会社(北海道配電・東北配電・関東配電・中部配電・北陸配電・関西配電・中国配電・四国配電・九州配電)が設立された。戦後解体され、昭和26年に現在の9電力会社、北海道電力・東北電力・東京電力・中部電力・北陸電力・関西電力・中国電力・四国電力・九州電力が設立されたのである。
内容
「電力即兵器
電燈を手まめに消して増産へ!
日本発送電株式会社」
掲載:昭和18年11月
日本製鉄とは製鉄業という国家の重要産業を統制するために昭和9年に官民合同で設立された国策会社である。富士製鋼所は合同の一社で、富士製鋼株式会社として昭和9年、製鋼 鋳鍛造と諸機械の製造を目的として 川崎に創設された。
内容
「鉄だ!!増産だ!
日本製鉄株式会社 富士製鋼所」
掲載:昭和18年11月
日本ハマライトとは、詳しくは分からないが、昭和11年に設立された電気絶縁物であるハマライトの製造メーカーである。軍需工場の一翼を担っていたものと推測される。米英の婦人に負けるなとあるが、労働力のひっ迫感が伝わってくる。
内容
「今日も決戦!明日も決戦!県下の婦人よ 一人残らず生産力増強に参加協力いたしましょう
「米英」の婦人に負けるな! 日本ハマライト株式会社」
掲載:昭和18年11月
機械化部隊とは戦車や装甲車を装備した歩兵部隊。イラストも前線で戦う機械化部隊の姿である。池貝は明治22年に創業の老舗工作機械メーカーであるが、池貝自動車とは、大正15年、陸軍向け車両製造の子会社として設立された。94式6輪自動貨車、97式軽装甲車のディーゼルエンジンを製造していた。(昭和27年小松製作所に吸収)
内容
「機械化部隊は我等の腕で!
池貝自動車製造株式会社」
掲載:昭和18年11月
昭和18年、国策遂行のために商工組合法が制定された。重要な産業を国家統制のもとにおくことが目的であり、強制加入制の各業種の統制組合が設立されていった。
燃料統制組合は、木炭の業界で、主要道府県に設立された。戦後は、全国組織となって存続している。現在の全国燃料協会である。
内容
「設立御挨拶
拝啓寒冷の候各位愈々御清祥奉賀候
陳者今般商工組合法に基き神奈川縣燃料配給統制組合を設立仕り十一月五日付を以て認可相受け十一月十九日設立登記完了茲に本組合成立仕り候に付御通知申上候
就ては決戦下本組合に課せられたる燃料配給の重大責務遂行に下名役職員一同邁進可仕覚悟に有之候間何分今後一層の御指導御鞭撻賜度伏して懇願奉候 先は右略儀乍ら紙上を以て御挨拶申上候 敬具
昭和十八年十一月 横濱市中區太田町六丁目七二番地 神奈川縣燃料配給統制組合
電話本局〜
理事長 竹内定吉
常任理事 吉村榮作〜」
掲載:昭和18年12月
御と威の間が空白だが、稜が入るはず。「御稜威」は「みいつ」または「みいず」と読み、天皇の御威光という意味。戦時中は盛んに使われた。日立は、10月に戸塚工場が求人広告を出しているが、今月は国策広告である。
内容
「御稜威の基に吾等あり 我等断じて捷たん さあ今日も又増産に励まん
神奈川縣下 株式会社 日立製作所 戦力増強
敵も必死だ!増産へ増産へ 遮二無二進もう!」
掲載:昭和18年12月
佐倉鋼鉄工業株式会社の広告。佐倉鋼鉄とは、明治10年創業の鉄工所で陸海軍用品や飛行機・自動車の部品を製造していた。戦力増強を訴えているが、しかし、アメリカの工業力を認識していたことがわかる表現である。
内容
「戦力増強
空の決戦!航空機の増産だ 米の飛行機の生産目標は天文学的数字だ 敵に負けるな!
神奈川縣下 佐倉鋼鉄工業株式会社」
掲載:昭和18年12月
石川島造船所(現IHI)の航空機部門で昭和16年に設立。通称「赤とんぼ」と呼ばれた練習機の製造開発で知られる。工場は、今の金沢区昭和町にあった。
内容
「空の決戦だ!航空機の増産だ!
石川島航空工業株式会社」
掲載:昭和18年12月
昭和13年設立。戸塚に工場があった。
内容
「飛行機だ、船だ 決戦の空へ海へ送ろう 一人残らず戦闘配置に!
戦力増強 増産運動
東亜特殊製鋼株式会社」
掲載:昭和18年12月
軍港横須賀を対象にした企画広告。横須賀市内の企業が出稿している。軍港の誇りを声高らかに訴える格調高い内容である。村松印刷は現在、市内に存在しないが廃業したのであろうか。また、文明堂印刷は現在に続く浦賀の老舗印刷所である。
内容
「軍港人の誇り軍港人の責務
帝都を護り 太平洋を一猊して 軍港に翩翻たる軍艦旗 われらはこの軍艦旗の下にありて業を営む軍港人だ 感激に胸膨らみ 誇りに血は踊る 烈々たる海軍魂を伝承して 必勝撃滅に敢闘せん これが吾らの責務なのだ!
村松印刷株式会社 文明堂印刷所
」
掲載:昭和18年12月
軍港横須賀第2弾で。前回同様、軍港の誇りを前面に押し出し、力強く生産力増強を訴えかけている。軍港魂なる言葉も登場し、横須賀人は軍港に誇りを持つことが当然のような内容である。連戦連敗のアメリカとは?負け戦に転じていることは周知の事実と思われるが、これが国家統制なのである。
内容
「生産だ!生産だ!戦力増強だ!!
連戦連敗の黒星アメリカが、一つたい何を頼みにして反攻しているのか 曰く鉄量だ。曰く生産力だ。生産力の根底たる工作機械力だ われら皇国の、而も軍港の、産業戦士は断じて負けぬ。敵米国の産業戦士に断じて負けぬぞ。吾等の筋金には軍港魂が伝承されている。港に翻る軍艦旗を仰げ。而して生産力増強へ、増強へ
合資会社 桐ケ谷工作所 大M鉄工所」
掲載:昭和18年12月
軍港横須賀第3弾、前回とデザインは同じだが、文章は変えている。あいかわらず熱い文面で、軍艦旗が海軍の象徴として捉えられていたことがわかる。イラストの工場は海軍工廠であろうか。
内容
「生産だ!生産だ!戦力増強だ!!
今朝も仰ぐ我らの軍艦旗 熱いものがぐーと胸に込み上げてくる朝な朝なの感激よ われら軍港人産業戦士は この感激を腕に込めて 米英撃滅の生産増強に邁進する、突進する戦力増強はわれらの双肩にあるのだ。
門松鉄工所 朝日鉄工所」
掲載:昭和18年12月
軍港横須賀第4弾、新しいデザインである。内容から見てイラストは南洋の補給船団であろう。補給の大切さを訴えているが、当の軍隊が一番なおざりにしたようだ。出稿企業はもちろん運送会社である。
内容
「補給戦だ!輸送戦だ!!
敵米英は全力を挙げて補給に必死だ 彼の補給優るか 我の補給勝つか もちろん!断じて我らは補給戦に勝つ、必ず勝つ あゝこの補給の大任を双肩に負う輸送戦士の光栄よ責任よ 海軍魂に続いてわれら大任を全うせん
横須賀運送株式会社 株式会社脇本組 神奈川機帆船運送株式会社横須賀支店」
掲載:昭和18年12月
軍港横須賀第5弾、直近昭和18年11月に行われたタラワ、マキンの戦いを取り上げている。この文面からは横須賀から設営のための労働者が帯同したことが伺われる。玉砕魂の言葉からは悲壮感すら伝わってくる。
内容
「建・工・報・国
タラワ、マキンの両島に玉砕した海軍施設協力の設営隊戦士よ われらの先輩よ われらの戦友よ 軍艦旗の下に決死報国 ツルハシにハンマーに玉砕魂を伝承してわれらは奮起す 米英撃滅、仇敵破砕にわれも勇奮す
松口組 合資会社花崎組」
掲載:昭和18年12月
軍港横須賀第6弾。軍艦旗や軍港人という言葉が度々登場するが、わが街に海軍軍港が存在することを無上の誇りに感じ、それにこたえようとする気概が感じられる文面である。
内容
「軍港人の誇り軍港人の責務
大本営発表を聴くたび我ら軍港人の胸は高鳴る 赫々の戦果烈々の戦果青史に燦たる戦果軍艦旗の行く処には必ず戦果あがる 朝な朝な仰ぐ軍港の軍艦旗にわれら軍港人の実務犇々と迫るを覚ゆ われらの只一念敢闘奉公!
株式会社さいか屋 軍需品 雑貨 □□品 □貨 官納小杉商事 山一商工株式会社」
掲載:昭和18年12月
軍港横須賀第7弾。ネタがなくなったのか、全く同じ内容である。出稿企業名は勿論違うのだが。ここまで見ると今回の企画、デザインには4種類あることがわかる。業種によって使い分けている。
内容
「生産だ!生産だ!戦力増強だ!!
連戦連敗の黒星アメリカが、一つたい何を頼みにして反攻しているのか 曰く鉄量だ。曰く生産力だ。生産力の根底たる工作機械力だ われら皇国の、而も軍港の、産業戦士は断じて負けぬ。敵米国の産業戦士に断じて負けぬぞ。吾等の筋金には軍港魂が伝承されている。港に翻る軍艦旗を仰げ。而して生産力増強へ、増強へ
鈴木鉄工所 加藤鉄工所」
掲載:昭和18年12月
佐倉鋼鉄工業株式会社は先月に続く広告である。文言も戦力増強から生産力増強に変えてきている。面白いのは横文字について先月は右書きであったのが、今月から左書きになっている。何があったのか?
内容
「生産力増強
時局は重大 生産だ 戦力増強だ 一億戦闘配置に
佐倉鋼鉄工業株式会社」
掲載:昭和19年1月
先月の軍港横須賀第4弾と内容は同じ。しかし、デザインを変更し、広告面を縮小した廉価版である。
内容
「補給戦だ!輸送戦だ!!
敵米英は全力を挙げて補給に必死だ 彼の補給優るか 我の補給勝つか もちろん!断じて我らは補給戦に勝つ、必ず勝つ あゝこの補給の大任を双肩に負う輸送戦士の光栄よ責任よ 海軍魂に続いてわれら大任を全うせん
國華産業株式会社」
掲載:昭和19年1月
日立製作所は先月も国策広告をだしている。今月も内容はほぼ同じであり、戦力増強と遮二無二が使われているが、正月にも関わらず簡素化している。
内容
「戦力増強
これが吾らの責務なのだ
敵も必死だ さあ今日も又増産に遮二無二進もう
日立製作所」
掲載:昭和19年1月
昭和電工は代表的な軍需工場であり、航空機の材料となるアルミニウムも生産していた。アルミナとは、酸化アルミニウムのことで、アルミニウム精錬の原料として使われるものである。工場名を〇〇表記にしているのは、場所を知られないためか、複数あるためなのか、どちらであろうか。
内容
「一億が航空戦力増強へ!
アルミナの増産へ
昭和電工株式会社 〇〇工場 総括代表神奈川C三一三一番」
掲載:昭和19年1月
富士飛行機とは、昭和14年設立の航空機メーカー、工場は大船(鎌倉市山崎)にあった。主に赤とんぼと呼ばれた海軍の練習機を製作していた。
内容
「戦力増強
航空機の生産だ
決戦の大空へ 国防へ 一機でも多くの飛行機を送るのだ
富士飛行機株式会社」
掲載:昭和19年1月
同社は、18年12月にも同じような広告を出しているが、今月は日立製作所、富士飛行機と同じデザインである。文章も内容的には同じである。
内容
「生産力増強
航空機の生産だ
一億戦闘配置
補給戦だ 決戦海へ 一隻でも多く 船を送ろう
東亜特殊製鋼株式会社」
掲載:昭和19年1月
前月に続く富士飛行機株式会社の国策広告である。今回はテンプレート的なデザインであるが、航空機増産はあらゆるところで訴えられていた。飛行機が不足していて、勝利には飛行機が必要ということは国民全体の共通認識であったろう。
内容
「航空機増産
一機でも多く!我等の手で 決戦の空へ 飛行機を 送ろう
富士飛行機株式会社」
掲載:昭和19年2月
類似テンプレートの広告。趣旨は同じで航空機の増産である。広告主は日立製作所であるが、さすが、各所に工場があることから、〇〇工場である。
内容
「航空機増産
前線へ航空機を 銃後生産は 我等の 手で
日立製作所〇〇工場」
掲載:昭和19年2月
どうやらこのテンプレートは航空機増産用のようである。イラストと文言を変えて使い廻しているようだ。飛行機の向きを右、左、右と交互にしているが、意図的なのか?佐倉鋼鉄工業も良く広告を出している。
内容
「航空機増産
決戦の空へ 我等の力で 飛行機を 送ろう!
佐倉鋼鉄工業株式会社」
掲載:昭和19年2月
先月に続く國華産業の国策広告。テンプレート広告であり、中央の文章のみ変更している。この戦争に勝つには戦艦ではなく、補給艦や輸送艦が必要、つまり補給戦が戦局を左右すると言う事が広告で表現されていることは驚きである。実際の戦局が国民に伝わっていたということか。
内容
「補給戦だ!輸送戦だ!!
この大戦果に応える道は我等の力でもう一艦の増産のみ
國華産業株式会社」
掲載:昭和19年2月
日立製作所も数多く国策広告を出している。やはり必要なのは飛行機!前線からの悲痛な叫びが聞こえてきそうである。しかも、製作機械にも言及しているのはさずが日立である。
内容
「送れ前線へ! 一機でも多く飛行機を 送れ職場へ! 一台でも多く製作機械を
日立製作所」
掲載:昭和19年2月
当時の国情が如実に表れている広告。男手が払底し、女性に頼らざるを得なくなった実情が伝わってくる。
広告主は、明治31年港区で操業した民需用ネジ製造会社。大正10年藤沢市片瀬に移転。戦時中は軍の共同管理工場の指定を受け航空機用のネジを製造。戦後は、戦後はミネベアに吸収され、現在はミネベアミツミ株式会社藤沢工場になっている。
内容
「女で出来る事は皆女手で
神奈川県 合資会社 東京螺子製作所」
掲載:昭和19年2月
東亜特殊製鋼は常連の広告主であり、「戦力増強」のフレーズは決まり文句である。また、この時期、殆んどすべての広告が、少しでも多くの飛行機や船を前線に送ろうというものであり、それだけ兵器が不足していたことが伺われるわけで、既に戦争継続が困難であることは多くの人が感じていたのではないか。今月は同じ広告を2度出している。
内容
「戦力増強 我等の力で決戦海へ 一隻でも多く船を送ろう
東亜特殊製鋼株式会社」
掲載:昭和19年3月
毎月恒例の國華産業の国策広告。テンプレート広告であり、中央の文章のみ変更している。この時期、どの広告を見ても同じで1隻、1機でも多く前線へ送ろうというもの。何しろ兵器が無かったのだ。物量で勝つ事のできないと分かっていたアメリカとの戦争の現実である。
内容
「補給戦だ!輸送戦だ!!
前線へ もうい一機!もう一艦! 銃後生産は我等の手で
國華産業株式会社」
掲載:昭和19年3月
神奈川県の歯科医師会の国策広告である。余白をたっぷりとったシンプルな広告であるが、内容は皆同じである。
内容
「前線将士に応える道は 船に戦車に飛行機だ 増産戦にも勝抜こう 貯蓄戦にも勝抜こう 何が何でも勝抜こう
横浜市中区尾上町五 神奈川県歯科医師会」
掲載:昭和19年3月
常連国華産業の国策広告。神奈川県歯科医師会の広告に呼応したかのように、グレードアップした内容で、増産意欲を掻き立てる。
「ありがたいッ!見ん事命中!
敵機が火を噴いた時、思はず口をついて出る言葉だ。 自分だけの力でやったのではない。御稜威の力、一億の力、まして、この愛機を造り、魚雷を作り、機銃を造ってくれた生産戦の戦士たちの総力が、憎い敵機に必殺の弾丸を食らわしたのだ。感謝の言葉が思はず口に出る。有難う、本当に有難う。―前線の荒鷲は、皆、こう思って戦っている―
さあ、全力を打ちこんで増産だ。一機送れば一艦を屠り、一弾丸造れば一機落す、前線の将兵たちに、魂こもった飛行機を送ろう!
一億戦闘配置へ 第一線工場へ
神奈川県下 国華産業株式会社」
掲載:昭和19年3月
こちらも常連日立製作所の国策広告。どうやら3月の3回はテンプレート広告であった。同じようなコピーが並ぶ。
内容
「前線将士に応える道は!!
総員一億戦闘配置へ付け 前線へ一機でも多く 銃後生産は我等の手で
神奈川県下 日立製作所〇〇工場」
掲載:昭和19年3月
トーホー株式会社の国策広告。テンプレート広告のためデザインは日立製作所と同じだが、コピーは更に勇ましく、これまでの「一機でも多く」から「何十万機」に超拡大している。
内容
「前線将士に応える道は!! 一機や二機では駄目だ!! 何万否何十万機と造り出そう!! それは工場が造るのではない!! 俺が私が造るのだ!!
神奈川県下 トーホー株式会社」
掲載:昭和19年3月
毎月恒例の國華産業の国策広告。遊休女子は許さずときた。当該女性にとって同調圧力は相当なものと見た。今月は同広告を2回掲載している。
内容
「一億総蹶起の秋
遊休女子は許さず 今こそ急げ米英撃滅へ
神奈川県下 國華産業株式会社」
掲載:昭和19年4月
航空機増産に向けたテンプレートの広告。お馴染み日立製作所の広告であるが、今月は女子をテーマにしているのだろうか。国華産業と同内容である。今月は同広告を2回掲載している。
内容
「航空機増産
一億総蹶起の秋 今こそ女子は生産戦へ急げ
日立製作所〇〇工場」
掲載:昭和19年4月
先月から始まったテンプレートの国策広告。広告主は横須賀銀行組合。目標が270億からまた上がった。この頃の横須賀には多くの銀行が存在したことが伺われる。
内容
「三百六十億の新目標の大進軍開始! 一人の落伍者もないように 一銭の無駄もなくして前線へ飛行機を送りませう!
ありがたいッ!見ん事命中!
横須賀銀行組合(イロハ順)
横濱興信銀行横須賀支店 同 大滝町支店 同 田浦支店 不動貯金銀行横須賀支店 都南貯蓄銀行横須賀支店 同 田浦支店 駿河銀行横須賀支店 千葉銀行横須賀支店 神奈川農工銀行横須賀支店 安田貯蓄銀行横須賀支店」
掲載:昭和19年4月
シンプルでとても勇ましい広告。同じ言葉を重ねることで力強さが増している。軍艦の長く伸びた大砲も力強く、印象に残る。浦賀船渠は海軍の駆逐艦建造を主体にした軍需工場である。
内容
「撃て 造れ 送れ 何が何でも戦力!増強だ!!!
突撃 突撃 死力を盡そう 勝って勝って勝ち抜こう
神奈川県下 浦賀船渠〇〇造船所」
掲載:昭和19年4月
既存イラストとコピーを組み合わせたテンプレート広告。先月の県歯科医師会が使ったコピーと日立製作所が使ったイラストを組み合わせたもの。なので、コピー前段の文言とイラストの文言が被っている。手抜き広告である。
内容
「前線将士に応える道は 船に戦車に飛行機だ 増産戦にも勝抜こう 貯蓄戦にも勝抜こう 何が何でも勝抜こう
横須賀市若松町一三四番地 吉村砂利興業株式会社」
掲載:昭和19年4月
情報が少なくどういった工場がわからないが、言いたいことはシンプルである。この3つの言葉は、テンプレート広告でも使われている。
内容
「造れ・送れ・撃て
株式会社秋田工場」
掲載:昭和19年4月
一般の企業広告だが、スローガンを添えなくてはならないご時世。しかし、この4つのうち「戦力増強」以外は現在にも通じるものである。この社名、現在横浜市港南区と磯子区にあるが同一企業なのであろうか。5月にも同じ広告を出している。
内容
「戦力増強 能率増進 資材節約 無駄排除
諸機械用ボールトナットリベット製造 横浜市中区北幸町二丁目七〇番地
有限会社 内田ボールト製作所 電話 神奈川一六五六番
当所特色 太サ二吋迄位、長十八吋迄 □大品歓迎」
掲載:昭和19年4月
今月良く使われているテンプレート広告であるが、横須賀の企業で2社目である。
内容
「前線将士に応える道は!! 総員一億戦闘配置へ付け 前線へ一機でも多く ― 銃後生産は我等の手で
横須賀市若松町七八番地 軍官納業 諏訪誠 鉄鋼業 三笠鉄工所」
掲載:昭和19年4月
また、この3つの言葉が使われているが、今月のテーマなのであろう。因みに、5月にも同じ広告を出している。
内容
「造れ送れ撃て
生産戦線も体当たりだ進め突撃!
もう一機 もう一艦 増産へ邁進だ!
総てを挙げて 鬼畜米英撃滅へ急げ!
神奈川船舶株式会社 神奈川縣」
掲載:昭和19年4月
今月良く使われているテンプレート広告であるが、配置を少し変えただけで、イラスト文言全く同じである。横須賀の企業で3社目である。
内容
「前線将士に応える道は!! 総員一億戦闘配置へ付け 前線へ一機でも多く ― 銃後生産は我等の手で
横須賀市久田航空精器株式会社 合名会社久田商会」
掲載:昭和19年4月
見ん事命中のテンプレートであるが、文言は先月の国華産業と全く同じである。横須賀の企業で4社目である。今月は横須賀月間なのであろうか。
内容
「ありがたい! 見ん事命中! 敵機が火を噴いた時、思わず口をついて出る言葉だ。
自分だけの力でやったのではない。御稜威の力、一億の力、まして、この愛機を造り、魚雷を作り、機銃を造ってくれた生産戦の戦士たちの総力が、憎い敵機に必殺の弾丸を食らわしたのだ。感謝の言葉が思はず口に出る。有難う、本当に有難う。― 前線の荒鷲は、皆、こう思って戦っている―
さあ、全力を打ちこんで増産だ。一機送れば一艦を屠り、一弾送れば一機落す、前線の将兵たちに、魂こもった飛行機を送ろう!
一億戦闘配置へ 総てをあげて戦力増強へ
横須賀市諏訪町六番地 合名会社酒井商店納品部 電話九二一番」
掲載:昭和19年4月
前線将士に応える道は!!のテンプレートであるが、同月の久田商会と全く同じである。横須賀の企業で5社目である。今月は横須賀月間なのである。
内容
「前線将士に応える道は!! 総員一億戦闘配置へ付け 前線へ一機でも多く ― 銃後生産は我等の手で
横須賀港湾荷役増強協力会」
掲載:昭和19年4月
前線将士に応える道は、のテンプレートであり、イラスト無しの先月の神奈川県歯科医師会の広告とほぼ同じ。微妙に変えているが…。横須賀の企業6社目である。
内容
「前線将士に応える道は 船に!戦車に!飛行機だ! 増産戦にも勝抜こう 貯蓄戦にも勝抜こう 何が何でも勝抜こう
神奈川縣酒類販売株式会社横須賀出張所 石渡好文」
掲載:昭和19年4月
新たなテンプレートである。一見のどかなイラストではあるが、農業界としても少しでも生産高をあげようという心意気を感じさせる広告である。
内容
「増産だ! 供出だ! 貯蓄だ! 総てを聖戦に捧げて 勝ち抜くときだ 神奈川縣農業會」
掲載:昭和19年4月
一億戦闘配置は、決まり文句。東亜特殊製鋼とは昭和13年11月26日に設立した特殊鋼を扱う会社で、工場は横浜市戸塚区矢部にあった。
内容
「一億戦闘配置へ付け
増産へ突撃
神奈川縣下 東亜特殊製鋼株式会社」
掲載:昭和19年4月
県農業会に続くテンプレート広告。女性の労働力確保に躍起になっている様子がうかがわれるが、イラストはインパール作戦の進軍の様子を描いたものであろう。ここにラジオ塔があるのはさすが通信機メーカーの所以であろう。インパール作戦は昭和19年3月から始まったが、史上最悪の作戦と言われたように多くの死者を出して失敗した。因みに広告主の富士通信機製造株式会社とは、現在の富士通である。
内容
「インパールへ! インパールへ! 皇軍の大進撃続く! 我等も進撃増産戦へ!
男子の戦場は 貴女達の力で 守り抜こう 職場は貴方達を待っている
神奈川縣下 富士通信機製造株式会社」
掲載:昭和19年4月
突然出てきた秋田工場。何を造っているのかは不明だが今月2度目の広告掲載。
内容
「増産!増産!
今こそ われらの職場へ挺進しよう
株式会社 秋田工場」
掲載:昭和19年4月
常連、國華産業の「見ん事命中」のテンプレートであるが、文言からは勝利一辺倒ではなく、負けることもあることを示唆している。巷に現実の戦況が伝わっている証左であろう。
内容
「ありがたい! 見ん事命中! 増産進軍 われにありあまる力有り 前線の闘魂に応えよ!
急げ米英打倒増産へ 今年こそわれわれの運命は決せられようとしつゝある この秋に当り銃後国民は議論に明け議論に暮れる秋ではない
光栄の勝利か滅亡の死か! 戦局を左右するものは勝利への増産だ 責務重大なる我れら産業陣は神国大和魂を遺憾なく発揮し 前線の闘魂に応えよう
神奈川県下 國華産業株式会社」
掲載:昭和19年5月
前線将士に応える道は、のテンプレートであるが、先月からの横須賀の会社による国策広告が続いている。
内容
「一億の火線はできた ねらへ 敵を! 前線将士に応える道は!! 精進と増産で 叩け 敵を!
横須賀市若松町七十番地 日産商会 電話横須賀三一九 一、六〇四番」
掲載:昭和19年5月
新手のテンプレートである。飛行機が足りない、飛行機が無ければ戦えない、飛行機が主兵器であること、は国民全員が理解していたこその広告である。
内容
「前線将士の 血の叫びを聞け!! 飛行機を…… 造れ! 送れ! 撃て!
芝浦機械株式会社」
掲載:昭和19年5月
これも新手のテンプレートである。内容はやはり飛行増産である。山本、古賀両提督の戦死を早速取り入れたコピーとなっているのが興味深い。イラストは敵の弾幕の中を飛ぶ友軍機の勇まし姿である。
内容
「先に山本元帥の戦死あり 今また古賀元帥の殉職を聞く。米英憎しとも憎し 我等一大発奮、彌が上にも増産に邁進し、両提督の盡忠にまみえざるべからず。 航空機の決戦だ! 将士の列血に應へ 生産戦に勝ち抜かむ!直ちに就け、この職場へ
石川島航空工業株式会社」
掲載:昭和19年5月
お馴染み、國華産業の国策広告。今月2回目の広告となるが、こちらはシンプル。この標語は当時の決まり文句。要は総てをお国に尽せということ。今月は同じ広告を複数回出している。
内容
「己を捨てゝ 大義に生きる
神奈川縣下 國華産業株式会社」
掲載:昭和19年5月
今月2回目のテンプレート。広告主の日本ハマライトは久方ぶり。内容は少し前の石川島航空を真似たものだが、10000機という数字はどこから来たのか。
内容
「米英打つべし!!山本・古賀両提督の盡忠に應えよ 責務重大なる我等産業陣は神国大和魂を遺憾なく発揮し、己を捨てゝ勝利への増産を邁進しよう
決戦の空へ 航空機を!前線の勇士は待っている。今こそ飛行機を送るのは我等の責務なのだ。決然と決戦の職場へ 来れ!! 今一と押しで10000機 日本ハマライト株式会社」
掲載:昭和19年5月
こちらも今月2度目のテンプレート。広告主の大日本兵器とは昭和13年に浦賀船渠が設立した兵器工場で航空機用機銃と弾薬を製造した。現在はコマツNTC株式会社として存続している。
内容
「凝視せよ!苛烈なる決戦のすがたを!
物量を誇号する敵と精神力を以て戦う勇士に豊富なる武器を送れ! 我等の力で前線を幾十倍も強化出来るのだ! 撃て!米英鬼を 造れ!送れ! 我等の増産で断じて勝ち抜くのだ 神奈川県下 大日本兵器株式会社 富岡兵器製作所 湘南工機工場」
掲載:昭和19年5月
またまた、新テンプレートである。今度は産業戦士を強く印象付けるイラスト。文章も散文調で格調高く、この時期にレベルが高い広告である。物量には物量をもって、とはその通りだが、現実の国力ではどうあがいても追いつかないのが現実であった。日立造船神奈川工場は昭和19年から操業を開始している。
内容
「出勤の途次電車の中で読んだ新聞の記事 昼の休みに工場で聴いたラジオのニュース じつと心にとめれば 冷厳なる戦争の現実が 苛烈極まりなき戦局が 瞼に浮び上るではないか 敵は『物量必勝』を盲信して増産に必死なのだ 私は『神州不滅』を確信して神国必勝の増産に挺身する 物量には物量をもってさらに魂を添えて増産挺進だ さア増産にも断じて勝つのだ
神奈川県下 日立造船株式会社 神奈川造船所」
掲載:昭和19年5月
またまた、新テンプレート。今月は新バージョンが続々登場する。ここのところ飛行機が続いていたが、やっと船である。進水式のイラストが華々しい。ここのところ文言中には増産、我らの責務の言葉が必ず登場している。
内容
「決戦だ! 増産だ! 撃滅だ! 今日も又一艦 敵撃滅の太平洋へ! 一億戦闘配置へ 今こそ舟艇を造れ!! 明日の十隻より今急ぐの一隻が重大戦局を左右するのだ 烈々たる大和魂を我ら産業陣も伝承して 必勝撃滅増産に敢闘せん、これが我らの責務だ
神奈川県下 株式会社 大阪造船所」
掲載:昭和19年5月
久しぶり、前線将士のテンプレートを使った日通の国策広告。長文であり、現代人には分かりにくい内容である。際会とは重大な時期にたまたま出会うこと。
内容
「◇…国家の偉大なる発展は国民がその深刻なる試練を克服して起ち上るところにはじめて達成し得らるゝ、我々は石に齧りついてでもこの試練に耐え忍び
◇…米英を撃滅して絶対的に勝利を闘い取らねばならぬ、勝利に至る途はまことに激しく、険しいものであるが ◇…一億銃後の国民は今こそ莞爾としてこの決戦生活の試練の上にその巨いなる足を踏みこたえたる秋に際会している『何をこれしき、へこたれるものか』国民のもつ必勝の信念はこれである
前線将士に応える道は!!
日本通運株式会社 横濱支店 横濱海運支店 横須賀支店 平塚支店 藤沢支店 大船支店 鶴見支店 川崎支店 溝ノ口支店 淵野辺支店」
掲載:昭和19年5月
日立造船の同月2度目の広告。テンプレートだけあって、内容はそのまま、文章とイラストの配置を変えただけである。
内容
「出勤の途次電車の中で読んだ新聞の記事 昼の休みに工場で聴いたラジオのニュース じつと心にとめれば 冷厳なる戦争の現実が 苛烈極まりなき戦局が 瞼に浮び上るではないか 敵は『物量必勝』を盲信して増産に必死なのだ 私は『神州不滅』を確信して神国必勝の増産に挺身する 物量には物量をもってさらに魂を添えて増産挺進だ さア増産にも断じて勝つのだ
神奈川県下 日立造船株式会社 神奈川造船所」
掲載:昭和19年5月
昭和19年2月にも同じ内容の広告を出している。みたみわれ(御民我)とは、天皇の民である私という意味。万葉集で海犬養岡麻呂が詠んだ歌で、 昭和18年7月、大政翼賛会が曲をつけ唱歌「みたみわれ」として制定した
内容
「みたみわれ 此の大御戦に 勝ち抜かん
女で出来る事は 女手で!
神奈川縣 合資会社 東京螺子製作所」
掲載:昭和19年5月
今月は新規テンプレートのオンパレード。我軍の飛行機を荒鷲に例えるのは定番だが、実際イラストにまで書き表して雄姿を讃えている。いやが上にも力が入る広告である。荒鷲の代表はゼロ戦である大戦初頭は、その性能から抜群の働きをしたのだが、敵国が高性能機を続々投入してくる中、後継機の開発が遅れ、わが航空戦隊はじり貧になっていく。
内容
「怒涛吠ゆる巖が根に猛鷲羽ばたかんとす 何ものをも容赦せぬ 戦闘心は全身に溢れ 爛々たる眼 一睨すれば群鳥すくみ 鋼鉄の翼 一撃すれば 烏合慴伏す この象徴 それは皇軍の荒鷲だ
南に北に大陸に 天かけりて 群がる敵機を一撃粉砕する わが無敵の荒鷲よ 今日も我らは この荒鷲を前線に送る 米英撃滅の日まで 我らは造る!我らは送る!
神奈川県下 日本飛行機株式会社」
掲載:昭和19年5月
こちらも新規テンプレートであるが、訴えるのは、とにかく飛行機が足りないこと。つまり、必勝街道を邁進してと勇ましい事が書かれてはいるが、飛行機がやられて消耗していることは国民周知の事実なのであろう。
内容
「敵米国はあがく 皇土の空を窺ふてあがく 鉄壁の防衛陣も 前線補給の船団護衛も 飛行機だ!飛行機だ! 必勝街道を邁進して 今や、国民総蹶起だ 飛行機生産戦士のわれら 断じてこの先驅尖兵たらん
神奈川県下 佐倉鉄鋼工業株式会社」
掲載:昭和19年5月
こちらも新規テンプレート。今度のイラストは船、闇夜を進む駆逐艦であろうか、であるが、内容は同じ。勝つためには、ただ只管、船や飛行機等の兵器を造り、前線に送る事。それだけである。
内容
「召されて友は銃を執り 召されて我らはハンマを杷つた 脈々たる血潮は 共に愛国の高鳴りに響く この血が一本の鋲に伝わり この血が魚雷に、弾丸に この血が船に、飛行機に 脈々の生命となって伝わる
討てば必ず命中し 飛べば必ず敵を撃墜す 今日も我らが造った、送った 明日も、そして敵撃滅の日まで 我らは生命をこめて作るのだ、送るのだ
神奈川県下 東亜特殊製鋼株式会社」
掲載:昭和19年5月
こちらも新規テンプレート。今度のイラストには飛行機、高射砲、戦車、軍艦、大砲と兵器のオンパレード。同内容で今月は2回掲載している。
内容
「戦費三六〇億円の調達 今ぞ総突破の秋! 本県目標額十二億円
今や敵米英が 我が領土の一角に 侵寇し眞に皇国の隆替を決すべきの秋!三百六十億の貯蓄達成こそは国家の総力を戦力の一点に集結せしめる喫緊の方途である
船も 戦車も 飛行機も 貯蓄戦から始まるのだ
横濱正金銀行 住友銀行横濱支店 横濱興信銀行 安田銀行横濱支店 臺灣銀行横濱支店 十五銀行横濱支店 神奈川縣農工銀行 三和銀行横濱支店 三菱銀行横濱支店 帝国銀行横濱支店」
掲載:昭和19年5月
同じテンプレートを使った石川島航空の今月2回目の広告で、文章は替えてきている。増産、増産の意気込みで機械力を誇るアメリカに打ち勝とう呼びかけている。勿論、精神論だけでは勝つ事はできないのだが、こう訴えるしかないのである。
内容
「必勝生産に注ぐ 我らの意気はハガネだ 我らの熱は灼熱の溶鉱炉だ 見よ逞しき闘魂を 前線の「送れ」に応えて ”造るぞ””送るぞ” なんのヤンキー工員め お前が機械力を誇るなら 我らは「増進尽忠」を誇る 忠義一念、断じて負けぬ 断じて増産、必ず送るのだ 石川島航空株式会社」
掲載:昭和19年5月
横須賀所在企業の合同広告である。5月27日の海軍記念日に合わせて出したもので、流石、軍港横須賀であり、Z旗は勝利の象徴として扱われている。
内容
「五月二十七日! 日本海の潮風に翩翻として翻ったはZ旗であった。今太平洋にこの旗が翻る 感激を新たに決意を新たに ”命倍”の増産へ 敢闘挺進を誓はむ
横須賀銀行組合 相模運輸株式会社 横須賀市若松町九二 土木建築請負業松田組 横須賀市日ノ出町二ノ五 大M鐵工所所長 大M乙吉 横須賀市春日町一ノ二〇
軍港人われらが今日の感激! 星霜流転して四十年 されどZ旗を仰げば 感激は昨日の如く清新なり 勝敗の岐路に起ちて 決戦に誓うわれらの決意は すでに鋼鐵の如し ”此一戦此奮励努力”
村松印刷株式会社 横須賀市大滝町三八 橋本治助 横須賀市大滝町五八 官納代理業濱善産業支配人 北原毅 横須賀市安浦町二ノ三 合名会社日の出商会代表社員 木原新一 横須賀市旭町一五 横須賀食料品配給統制組合 横須賀市大滝町三六」
掲載:昭和19年5月
同上、横須賀所在企業の合同広告である。
内容
「三笠艦上に翻る ”皇国の興廃此一戦に在り” あゝ Z旗よ 戦ひ苛烈凄愴にして われら記念日を迎へ この旗を仰ぐ われらの職場に この旗を樹てんかな ”奮励努力”を誓はんかな 土木請負業 合資会社花崎組 代表社員 花崎保久 横須賀市公郷町二二二九 株式会社佐々木鉄鋼所 横須賀市春日町一ノ二七 神奈川縣社会事業横須賀隣人會経営 横須賀婦人授産場 横須賀市安浦町一ノ二 淺羽吉之助 横須賀市旭町一五 保土ヶ谷化學工業株式会社横須賀工場 横須賀市公郷町一、四一三
七生報國の一詩を賦して 旅順港口に散華せし 軍神廣瀬中佐 不滅の忠魂は脈々として われらの生命にも流る Z旗を仰ぐ今日 必勝増産に敢闘する われの決意も又”七生報國”のみ 大日本興行協會神奈川縣支部横須賀分會 神奈川縣洋服業統制組合横須賀支部 支部長 原田丹治 銅鐡機械商村松三津太郎 横須賀市若松町二二 横須賀乳業有限会社社長 高梨芳郎 横須賀市若松町八一 横須賀軍港飲食業組合事務所 横須賀市若松町 壽々香本店 横須賀市山王町三七」
掲載:昭和19年5月
化学工場らしく「化学戦で撃滅」と冒頭にあるが、内容を見てみると化学戰とは関係なく、イラストの水雷戦隊をモチーフにした啓蒙となっている。
日東化学工業とは、昭和13年設立された化学メーカーで、アルミナや化学肥料などの製造加工を中心とした工場らしい。1998年に三菱レイヨンの吸収合併された
内容
「化学戰で撃滅だ! 黒潮を截つて全速疾駆するわが水雷戰隊!烈々の闘志は熱血となりて全艦に脈打てり 米英撃滅の烈々の闘志は われらの全身に熱血の脈打てり、この熱血の一打は翼を生み『増産必勝』の全速疾駆をせむ 日東化學工業株式会社」
掲載:昭和19年5月
既存のテンプレートのレイアウトを少し変えて使用したもの。広告主は現在のAGC(旭硝子)である。明治40年、岩崎俊彌によって創立。昭和19年に日本化成工業株式会社と合併し、三菱化成工業株式会社と商号を変更。昭和25年に企業再建分割法により旭硝子株式会社が設立。平成30年AGCに商号変更。
内容
「頭に載くは戰帽だ 身につけたはカーキの作業服だ 足に巻いたのはゲートルだ これで銃さへ執れば 立派な皇軍の兵隊さんぢやないか 兵隊さんは武器を執り 我らは武器を造っている 一にして二。二にして一なり 宜なるかな”産業戦士”の称号 尽忠一念皇軍は突撃する 尽忠一念我らは増産に突撃する (旧旭ガラス株式会社)三菱化成工業株式会社」
掲載:昭和19年5月
日本精工は、大正3年創業の日本精工合資会社を前身とし大正5年に株式会社となり現在まで存続している。軸受けの専門メーカーでありNSKで知られるグローバル企業である。昭和12年に藤沢工場が開設されている。イラストも軸受けを中心においたもので、同社の意気込みが感じられる。しかし、コピーは恐ろしいもので、「目には目を歯には歯を」といった感じであるが。そもそも米英はこのようなことを公言していたのか?
内容
「"日本を地球上より抹殺せん"と敵米英は傲慢にも公言せり 然らば我も又公言す "米鬼英畜を地球上より抹殺せん" われらの生産増強はこの抹殺の武器なるなり 一船、一機、一弾も 早く早く 敢闘をもって前線に送らむ 神奈川県下日本精工株式会社」
掲載:昭和19年6月
日立造船は先月から精力的に広告を出している。新しいテンプレートであるが、イラストは商船であるところが日立造船らしい。しかし、文言は兵器増産を訴えている。
内容
「船を造れ! 生産の戦士に告ぐ われらか同胞は 前線にありて身を切る如く 船を待ち、機を待ち、弾を待つ われらはこれを造り これを送るを使命とする "物量必勝"を盲信する驕敵米英を撃滅するは 一にわれらが双肩にかゝれり 前線の同胞をして 「船来る」「機来る」「弾来る」と雀躍善戦猛闘せしめよ! 神奈川県下日立造船株式会社神奈川造船所」
掲載:昭和19年6月
造船会社なのでイラストは商船隊、もしくは輸送船団のようだ。同社は5月にはテンプレート広告を出していたが、今月は女性の職場進出を煽る内容になり、趣を変えてきている。しかし、それだけ人手不足であることが伺える。
大阪造船は、昭和11年創業の造船メーカーであるが、紆余曲折を経て、現在の事業は エアゾール製品の製造販売、特殊潤滑剤の製造販売、自転車駐輪施設の製造販売、船舶(タグボート)の造修並びに鉄鋼構造物製作工事というように多角化している。
内容
「決戦の秋だ!! 勝利への増産だ 男に負けず 貴女達も ペンを持って 戦列に急げ
神奈川県下 株式会社大阪造船所」
掲載:昭和19年6月
国策広告の常連、石川島航空のテンプレート広告。また新しいものであるが、飛行機の前部を切り取った恰好いいイラストである。輸送船団も添えられている。産業戦士を歯車に例えているのは面白い。
内容
「産業戦士は戦力の歯車だ 歯車次第で 機械は廻るのだ われらの一人一人が 戦力の歯車の 一枚一枚なのだ 歯車は一分時も休みなく 而も敵撃滅の闘魂に 燃えながら 必勝の轟音を 響かせながら 全速力で回転しているか! 然り! 断じて全速力で回転している 神奈川県下石川島航空工業株式会社」
掲載:昭和19年6月
シンプルな国際広告である。防諜の観点からであろうか、工場名を〇〇と秘匿している。また、今月は他の広告も会社名の前に「神奈川県下」という言葉を付けているがこれは場所を秘匿する意味から外れるがなぜであろう?
内容
「勝利への増産だ 神奈川県下 東亜特殊製鋼株式会社〇〇工場」
掲載:昭和19年6月
4月に続く秋田工業の広告。シンプルだが勇ましいコピーである。
内容
「もう一息増産だ!
米英粉砕へ全速の進軍だ
株式会社秋田工場」
掲載:昭和19年6月
日本精工による、今月2回目の広告。戦況を決するのは飛行機ということが正に語られている。イラストは前回同様、ベアリングに飛行機である。
内容
「傲慢なる米英は 第二戦線結成のため侵攻上陸を決行せり。之よりわが監?ドイツに鉄壁の備へあり、これを邀撃殲滅するは明らかなる處なり。
されど見よ 彼米英の頼みは正しく空軍力にあり。或は八千機、或は一萬機を動員せり、と。
近代戰の勝敗は正に空軍力にあり 一にも飛行機 二にも飛行機 今こそ決死の増産へ! 神奈川県下日本精工株式会社」
掲載:昭和19年6月
佐倉鋼鉄工業は飛行機のイラストを良く使用するが、航空機関係の工場なのであろう。コピーもなく飛行機の翼を切り取ったイラストだけという印象的なデザインになっている。
内容
「佐倉鋼鉄工業株式会社」
掲載:昭和19年6月
日本火工とは、大正14年に消火器製造販売のために設立された中央理化工業株式会社が前身。
昭和3年に日本火工株式会社と改称し、火工品や火薬類の製造販売を行うようになる。昭和10年には日本で初めてステンレス鋼を製造し、昭和17年に、日本冶金工業株式会社に改称している。現在、我が国で原材料製錬から製造、加工までを行う日本で唯一のステンレス一貫生産メーカーである。双輪マークは昭和14年に制定された社章である。
一方、カーリットの製造会社である昭和火薬工場が昭和8年千葉県に設立した。翌年昭和火薬と改称し、昭和17年に日本冶金工業より戸塚作業所を譲渡され軍用火工品の製造を継承し、昭和18年に日本火工鰍ニ改称している。この広告は、この日本火工のものである。戦後は紆余曲折を経て日本工機鰍ニなったが、現在も防衛省や海上保安庁向けの弾薬を製造している唯一の会社である。
内容
「男女も一億戦闘配置へ急げ! 銃後生産は我等の手で
神奈川県下 日本火工戸塚作業所」
掲載:昭和19年6月
昭和19年6月16日、北九州に対して行われたB−29による本土初空襲のことである。 佐倉鋼鉄は今月2度目の広告である。使い回されているテンプレートで、先月は三菱化成工業が使っていた。とにかく広告を見る限り絶対的に飛行機が足りないことは全国民周知の事実であったのだ。
内容
「損害軽微なりとはいへども 敵機"皇土"北九州を侵寇す 小癪なり醜夷! 一機も洩さず撃たん討たむ 今こそ物量反抗を邀撃して わが攻勢移転の秋 正に絶好の好機なり 防空即制空なり 制空即飛行機なり 急げ!造れ!"命倍"で造れ!! 神奈川県下 佐倉鋼鉄工業株式会社」
掲載:昭和19年6月
昭和19年6月23日の大本営発表とは、連合艦隊の一部が6月19日マリアナ方面で敵機動部隊を捕捉、敵空母5隻、戦艦1隻以上を撃沈破、敵機100機以上を撃墜したが決定的打撃を与えられなかったというもの。 これはマリアナ沖海戦とよばれるもので、実際の損害は逆で、日本側が空母3隻沈没のほか戦艦、空母など多数に損傷を受け米軍は沈没はなく、小破が数隻という日本の完敗であった。
内容
「君は何んと聴えたか 六月二十三日十五時三十分の大本営発表を!
待ちに待ちたる わが無敵連合艦隊が遂に出撃したのだ 驕米の傍若無人な跳梁に堪忍袋の緒を切って米機動部隊を龍神の□へに献ぐべく、出撃したのだ
わが艨艟は大洋を圧し 必中の砲弾魚雷は 量に驕る敵艦隊の胴腹を抉る 空母五隻、戦艦一隻はかくて紅蓮の炎にのた狂ふ されど「決定的打撃を与ふるに至らず」と今こそ米太平洋艦隊撃滅の好機だ!
一機一艦が勝機を掴む 千載一遇の好機なのだ 一億国民総蹶起!産業戦線総蹶起! 神奈川県下 株式会社日立製作所」
掲載:昭和19年6月
日本火工による今月2回目の広告。 上の日立製作所同様、大本営発表を使った内容になっているが、それだけ連合艦隊の出撃が待ち望まれていたことがわかる。
内容
「一億総蹶起の秋だ! 待ちに待ちたるわが無敵艦隊が出撃したのだ 今こそ米太平洋艦隊撃滅の好機だ 産業戦線総蹶起
日本火工戸塚作業所」
掲載:昭和19年6月
なんと、日本精工今月3回目の広告である。3回ともにイラストにシャープな航空機を使い、飛行機製造を切に切に訴える内容である。他の会社も多くは航空機のイラストを用いており、この戦争の行く末は航空機の生産力にかかっていることを全国民が知っていたのだ。
内容
「敵米国はあがく 皇土の空を窺ふてあがく 鉄壁の防衛陣も 戦線補給の船団護衛も 飛行機だ!飛行機だ! 断じて我等の手で 引きうけよう!! 神奈川県下 日本精工株式会社」
掲載:昭和19年6月
6月に続く日本精工の広告で、先月も使ったテンプレートである。早速サイパンの激戦を取り上げて飛行機増産を読者に訴えているが、7月18日の大本営発表で全員壮烈なる戦死を遂げたと報道されている。
内容
「お互に眼を閉じてサイパンの血戦を偲ぼうぢゃないか
量を誇る敵米兵の爆撃と砲声の下を、一死報国の白刃を□して敵陣に肉迫突入する皇軍将兵の獅子奮迅の状が瞼に浮んでくるではないか。米国の頼みは量だ。砲弾だ。飛行機だ。この量にわが将兵が苦闘しているのだ。
昭和の元寇は今だ。皇国の興廃は今だ。必死増産は今だ。 今こそ皇国の総力を結集して飛行機を造る時だ。送る時だ。今こそ職場の全力を絞り出して飛行機を造る時だ。送る時だ。
神奈川県下 日本精工株式会社 藤沢工場」
掲載:昭和19年7月
6月に続く石川島航空工業の広告で、初めてのテンプレートで、アメリカ国旗を我軍戦闘機が突き破るという斬新なデザイン。「白い鬼」とは新しい言葉であるが、戦況の悪化に伴い表現内容もどんどんエスカレートとしてきているようだ。
内容
「心の目で凝視せよ 心の耳をすまして聞け
南の島々からわが将兵の叫ぶ声が聴える。叫ぶ姿が見える。
白い鬼どもが飛行機を兜にかぶって砲爆弾を鎧に着て、傍若無人に押し寄せて来ているのだ。これを叩き潰すには飛行機だ。飛行機こそ勝敗を決するものだ。
来月の千機より今の百機だ!われらの飛行機で米艦隊を米空軍を叩き潰すは今なのだ
無欠勤、無遅刻、残業残業、徹夜徹夜 増産に必死は今だ
石川島航空工業株式会社」
掲載:昭和19年7月
4月以来の浦賀船渠のテンプレート広告。まさに核心をついている。補給を軽んじたことがこの戦争の敗因の一つに挙げられているが、気がつくのが遅すぎたのだ。
内容
「わが皇軍は世界一の強兵だ
十分の飛行機と弾薬の補給さへあらば、正に無敵の強兵なのだ。太平洋戦争は彼我の補給力が勝敗を決定する補給戦なのだ。 補給戦の本隊は造船部隊である。 打込む一鋲遅れれば 敵の侵寇は一歩迫るのだ 一隻の建造遅れれば 昭和の元寇は一里迫るのだ
攻勢転移はわれらの双肩に 造船部隊の双肩に! 今こそ増産の突撃にいざ突っ込め!
神奈川県下 浦賀船渠株式会社」
掲載:昭和19年7月
日立造船も国策広告の常連であり、今月は新しいテンプレートである。飛行機増産の大合唱の中、問答形式で造船の重要性を訴えている。
内容
「船は飛行機だ
問「愈々重大戦局に直面しましたね。勝敗を決するのは一にも飛行機、二にも飛行機で、世は正に航空決戦時代というわけですな。
答「そうです。そこで吾々造船戦士の任務は極めて重大になったわけです。
問「おやッ、どうして造船が重大になったのですか、何か飛行機につながりがあるというわけですか。
答「あるもある、大ありなんですよ。飛行機生産の資材を運ぶのも船なら、飛行機を飛ばす油を運ぶも船で、船は飛行機の母ということになります。
問「なるほど。造船戦士の敢闘こそ勝敗の岐れ目ということになりますね。
答「その通りです。私どもは今や皇国の運命を據うた心算で必死の敢闘をしているのです。サイパン島の将兵に応うる道は決死増産以外にありません。
神奈川県下 日立造船株式会社神奈川造船所」
掲載:昭和19年7月
国策広告の常連、國華産業の広告。今産業界に求められている役割をシンプルに表現。
内容
「決戦だ 造れ 送れ 撃て
神奈川県下 國華産業株式会社」
掲載:昭和19年7月
7月2回目の日本精工の広告。新テンプレートを使い、今まではベアリング(工場を表す)から発する輪に飛行機を被せたイラストで飛行機の製造を表していたが、今度のはベアリングを通して新型飛行機(とってもスマートでジェット機の様)が生まれるという、もっとわかりやすいデザインに変更している。本文も過激化している。
内容
「飛行機を送れ!
不遜無礼なる驕敵を我等の飛行機でたゝきに、たゝけ 南の海のにがい 苦しい海底へ たゝきこむのだ
飛行機を造れ! 決戦の空へ飛行機を送れ 憎い米鬼を我等の飛行機で打ちのめすのだ
増産だ!増産だ!此の職場も戦場へ 連なる事を知れ!!
神奈川県下 日本精工株式会社 藤沢工場」
掲載:昭和19年7月
石川島航空工業、今月2回目の広告。文章は変えていないが、テンプレートを新しいものに変更している。
内容
「心の目で凝視せよ 心の耳をすまして聞け
南の島々からわが将兵の叫ぶ声が聴える。叫ぶ姿が見える。
白い鬼どもが飛行機を兜にかぶって砲爆弾を鎧に着て、傍若無人に押し寄せて来ているのだ。これを叩き潰すには飛行機だ。飛行機こそ勝敗を決するものだ。
来月の千機より今の百機だ!われらの飛行機で米艦隊を米空軍を叩き潰すは今なのだ
無欠勤、無遅刻、残業残業、徹夜徹夜 増産に必死は今だ
石川島航空工業株式会社」
掲載:昭和19年7月
今月2回目の日立造船の広告。前回のテンプレートを短く、文章も短くまとめた。
内容
「飛行機だ!飛行機だ! 船は飛行機の母だ。
太平洋決戦の時目前に迫る 何が何でも飛行機の増産だ。早く早くと前線の声が聞えるではないか。飛行機生産の資材を運ぶ船 飛行機戦闘の油を運ぶ船 今こそ決死の造船増産だ
神奈川県下 日立造船株式会社神奈川造船所」
掲載:昭和19年7月
大日本産業報国会の広告。全労働者に対する檄文。
内容
「敵国降伏 神州不滅
全国産報会員に告ぐ 職場大会を開け サイパンの英霊に応へよ
大日本産業報国会」
掲載:昭和19年7月
7月20日の海の記念日に合わせて出した横浜港3団体合同広告。 「海の記念日」とは、明治9年明治天皇の東北地方ご巡幸の際、灯台視察船 明治丸 で、青森から函館を経て横浜にご帰着された日。平成7年に「海の日」として祝日に制定された。
内容
「海の決戦愈々迫る 今日海の記念日 太平洋の怒涛本土を噛む 我は海の子、いざ海へ
横浜港運株式会 横浜海運局 横浜船舶荷役株式会社」
掲載:昭和19年7月
富士飛行機の広告である。求人広告欄に掲載されていたが、これは国策広告であろう。文章は昔と同じ。
内容
「航空機増産
一機でも多く我等の手で 決戦の空へ 飛行機を送ろう
神奈川県 富士飛行機株式会社」
掲載:昭和19年7月
昭和10年に富士電機から分離設立された富士通信機製造とは、現在の富士通である。飛行機にZ旗を合わせたイラストに過激な文章で敵愾心を煽る広告となっている。
内容
「敵愾心 「怒髪天を衝く」という諺あり まことかの青き眼のけだものら 憎しみて余りあり 皇軍玉砕の報到るとき かなしみかければ深きにまして はらからと履帯のもとに踏みゆける かの 鬼畜を憎め なほ白き肌に 歯をもてあたれ
神奈川県下 富士通信機製造株式会社」
掲載:昭和19年7月
医師会の広告。自らを軍医と位置づけ戦いに臨む覚悟を表してる。「聴診器に増産はつながる」とのくだりは泣けてくる。イラストの飛行機と輸送船は使い回されているもの。
内容
「船を造れ 艦を造れ 弾丸を造れ 食糧を作れ だがこの一切の基本は”人”だ 逞しい身体と強固な意力とが増産の推進力なのだ 「国防衛生」とは空襲時下の使命だけを指すのではない 総力戦の「増産戦線の軍医」の役割こそ、これなのだ。 征くぞ 皇民医療に 救護の堅陣に 皇国の体・みたみわれ・衛れ・まづ勝て病敵に 我ら聴診器に増産はつながる いざ奮起挺進せむ
神奈川県医師会」
掲載:昭和19年7月
大阪造船所の広告である。求人広告欄に掲載されていたが、これは国策広告であろう。こちらの会社も何回か国策広告を出している。
内容
「決戦だ 増産で撃滅だ
一機でも多く我等の手で 決戦の空へ 飛行機を送ろう
神奈川県 株式会社大阪造船所」
掲載:昭和19年7月
非常な長文広告であるが、金属回収に協力せよとのお願いである。米英空軍のマークに撃滅の文字が乗せられている。
内容
「鉄返り材突撃回収 直視せよ太平洋を!
敵米英は物量をたのみ我本土に迫る マリアナ諸島水域に厖大な鉄量を日夜別かたず打込んで居る銃火器には銃火器を!航空機には航空機を!艦船には艦船を! 同胞の魂をこめて生産されたすべての兵器は忠勇無比な皇軍の心身一如をもって戦われ玉砕以上死を乗り超えての敢闘がたった今の一瞬に繰返されている、皇土を護り、皇国と共に生き抜く精神力をもつて敵の厖大な物量に向かって果断なき戦は続けられている!日本に時を藉すなは敵の進攻略だ。第一線より何事においても敵に勝て、敵を撃滅せよと心魂の叫びが聞へてくる。
我等県民にも敵米英を殪す物量生産の一端を據ひ暑熱を超えて精進している一体がある。誰だ!それは神奈川県金属決戦回収工作隊!鉄には鉄を!鉄生産陣の総進撃に今!返り材回収陣の総突撃は続けられている。魂こめて鉄は回収されてる!その鉄は敵米英を殪さずばやまじと溶鉱炉の中に躍進している!魂のこもった兵器は生産される その兵器が皇軍将兵の手に渡された時!大勝の叫びが第一線より伝わって来る。
横浜市西区平沼町 神奈川県決戦金属回収工作隊 金属回収統制株式会社 神奈川県事務所」
掲載:昭和19年7月
上と「同じテンプレートを用い、同じような長文広告。東京芝浦電気である。官民挙げてすべてを投げうち勝利を目指す必死さが伝わってくる。
内容
「念頭、撃滅あるのみ 行動、勝利の増産あるのみ
驕児ルーズベルトは大統領四期当選を覗って今や人気取り策に汲々且つ必死だ。狂米の総反攻はこの現れの一つであるが、ルーズベルトは自分のためには厖大なる艦船飛行機兵員の犠牲も意に介さず、マリアナ諸島攻略に全力を傾注している。わが本土を覗うも又これがためである。
人類の敵ルーズベルト、悪魔の手先メリケン兵に思い知らしてやる絶好の機会は刻々に迫る。
わが危険の近づくことはわが勝機の近づくことでもある。ぐっと引寄せておいて叩きつける。
今こそこの勝機目前に迫ったのだ!だが勝機を逸せず大勝せしむるには十二分の兵器がなくてはならぬ。歯には歯なのだ。目には目なのだ。物量には物量なのだ!
われら生産戦士の決死敢闘こそ勝機をして決定的大勝たらしめる原動力だ
マリアナ諸島のわが将士は敵の爆弾銃砲下に血みどろの戦いを闘っている これを偲べば残業しても疲労を感じない。徹夜しても眠気もさゝぬ筈だ やろう、断じて増産をやろう! 勝とう、断じて増産で打勝とう!
東京芝浦電気株式会社 重電機製作所(旧鶴見支社)」
掲載:昭和19年7月
国策広告の常連、國華産業の広告。7月に掲載したものと同内容で、少しだけデザインを変えている。このデザインで9月にもう一回掲載している。
内容
「決戦だ 造れ 送れ 撃て
神奈川県下 國華産業株式会社」
掲載:昭和19年9月
常連、日本精工の広告。今回は過去に2回使ったテンプレートを利用し、文言を変更してきている。そもそもこのベアリング入のテンプレートは日本精工専用であろう。
内容
「驕米の反攻は飛行機の数が力だ 乗員が腰抜けでもその数は馬鹿にはならない 攻勢転移は一に飛機だ 歯には歯だ 量には量だ 今こそ決死増産だ 神奈川県下 日本精工株式会社 藤沢工場」
掲載:昭和19年9月
前回は飛行機生産を前面に出していたが、今回は本業の船である。しかし、連呼する掛け声とは裏腹に、船を造ろうにも資材が底をついていたのだ。
内容
「こゝに敵の野望を砕く一つの道がある 船だ、船だ、船だ!船を造ろう この船は鉄をはこんでくる この船は油をはこんでくる この船はボーキサイトをはこんでくる この船は つはものを 弾丸を 飛行機を つんで まっしぐらに 戦いの海をゆく この船が波濤を越え 敵潜をふみつぶし 爆撃のスコールをつき 勝利の日へ ひとすじの航路をひく 船だ、船だ、船を造ろう! 神奈川県下 日立造船株式会社神奈川造船所」
掲載:昭和19年9月
19年4月と同じテンプレートだが、もちろん、内容は違っている。造船工場であるが、まずは飛行機の必要性を訴え、そのためには船だ。という論法で攻めている。
内容
「肉を切らして骨を断つ秋が愈々迫った
米鬼の骨を断つ日本刀は”飛行機”だ 飛行機製作の資材を! 燃料を! 運ぶものは船だ 造船こそ勝利の突撃隊だ!
神奈川県下 浦賀船渠株式会社」
掲載:昭和19年9月
同社は毎回格調高い文章で攻めてくる。イラストも写実的であり、広告にかける意気込みが感じられる。
内容
「勝利の道は飛行機増産に通ず! 物量の悪魔米機を正義の神意”皇機”で今こそ討つ秋だ 悪魔の翼を撃砕するものは神の翼だ
石川島航空工業株式会社」
掲載:昭和19年9月
富岡兵器製作所は海軍航空機用の機銃の専門工場であった。イラストはこの新鋭機銃であろうか。原型は九九式二〇粍機銃であろう。
内容
「見よ! 吾が新鋭機銃の威力を 敵機は火を噴いて墜ちる 今日も前線の空で我荒鷲は一撃のもと仇敵をたゝいている 送れ、飛行機を!造れ、兵器を! 吾等の造る兵器は 直接鬼畜をたをすのだ 吾等の懸命な努力が 直接将兵の力となるのだ 総てが戦場だ 今日が決戦だ 勝ち抜く為に さあ頑張ろう
神奈川県下 大日本兵器株式会社富岡兵器製作所」
掲載:昭和19年9月
5月に続き2回目の広告。前回同様のテンプレートで、内容は変更しているが、飛行機を鷲に例えるのが好きと見える。
内容
「猛鷲の眼は憤怒に燃え ハガネの翼は 正に搏たんとす 彼らの不正不義は 神すでに怒り給う 猛鷲よ怒れ! ハガネの翼で討て 不正の米鬼を、不義の英獣を われらは造る われらは送る この猛鷲を この荒鷲を 尽忠の生命をこめて! 神奈川県下 日本飛行機株式会社」
掲載:昭和19年9月
徴兵では陸軍に取られてしまうので海軍も必死で兵隊を集めていたことがわかる広告である。
内容
「必勝啓発第四号(切り抜いて取って置いて下さい) 昭和二十年度海軍志願兵徴募検査執行日発表 但し神奈川県
青少年に告ぐ 悪魔米英を撃滅するためだ 蹶起せよ 奮起せよ 馳せ参ぜよ 空の大決戦場へ!海の血闘場へ! (24会場と各会場の検査期間)
海軍志願兵徴募規定 一、兵種 水兵、整備兵、機関兵、工作兵、衛生兵、主計兵、少年水測兵、少年電信兵 少年飛行兵(乙種予科練習生) 少年電測兵、軍□兵 二、年齢
自大正十三年十二月三日出生至昭和六年四月一日の生 三、志願書提出先 最寄りの市区町村区役所
海軍志願兵相談所開設 志願兵ニ就イテ解ラナイ処ガアッタラ必勝ノ道啓発協力会内海軍志願兵相談係へドシドシ御質問下サイ(但シ必ズ自分ノ宛名ヲ鮮明ニ書キ込ンダ返信用不当ニ七銭切手ヲ貼ッテ同封ノコト)
必勝の道啓発協力会 東京都京橋区木挽町五ノ一 」
掲載:昭和19年9月
造船会社は飛行機の母は船と云い、工作機械会社は工作機だという。優先順位の第一が飛行機なのは共通認識だが、その飛行機を造るには?という論法の広告が増えてきている。
内容
「第一線の要望にこたえ飛行機を送れ!そして、その飛行機は工作機より生まれるのだ 工作機は飛行機の母だ!それを造る我等の手は即ち敵を制する手だ、勝つためだ、頑張ろう。莞爾として悠久の大義に生きてゆく神兵の悲願と血の叫びにこたえる道は唯一つ増産あるのみ 造れ飛行機を!造れ工作機を! 神奈川県大日本兵器株式会社湘南工場」
掲載:昭和19年9月
国策広告の常連、今回はイラストのみのシンプルなもの。今まさに手りゅう弾を投げようとする兵士の姿だが、何を意味するのか。
内容
「佐倉鋼鉄工業株式会社」
掲載:昭和19年9月
日本精工今月2回目の広告。テンプレートは今年6月のものを使い回し。
内容
「戦局危急にして皇国の興廃方に此機に存す 歯を食しばって増産に挺進敢闘だ 我等の双肩に国家の運命がかゝつてるのだ体当たりで増産だ
神奈川県下 日本精工株式会社 藤沢工場」
掲載:昭和19年9月
日本製鋼所初広告。同社は北炭と明治40年英国のアームストロングとビッカースとの共同出資により室蘭に設立された兵器製造会社。昭和11年には横浜製作所が操業開始。ヴェルニー公園に展示されている戦艦陸奥の主砲も室蘭の日本製鋼所製である。
内容
「量と質と時 目睫に迫った決戦に驕米を叩きつけヤンキーの抱く幻想を粉砕して勝利を確定するものは 量である 質である 時である ”日本製鋼魂”とはどんなものか。増産突撃の戦果で示そう 神奈川県下 日本製鋼所」
掲載:昭和19年9月
今月2回目の広告。まず、勝利に向けて飛行機の必要性を訴え、飛行機を造るためには船が必要とまとめるのが最近の傾向である。飛行機も船も登場せず溶接作業のイラストだけというのも味がある。なお、月末に全く同じ広告ものを出している。(3回目)
内容
「″第一線部隊に其の要望通りの航空機を送り思う存分活躍せしめたい念願で一杯である゛ 米内海相の言や切々として国民の肝をつらぬく 勝利は飛行機に在り 一にも二にも三にも 飛行機こそ絶対だ 飛行機の資材と油を運ぶのは船だ 造船増産こそ絶対だ 神奈川県下 日立造船株式会社神奈川造船所」
掲載:昭和19年9月
下町工場の広告でもこのような標語を掲げている時代。シャコ万力とは材料などの保持や固定に使う機材である。資材呈供歓迎の文言からは、シャコ万力を造る材料も不足していることが伺われる。
内容
「今こそ増産に総進軍だ! 飛行機ノ増産ハ必勝ノ鍵ダ! 木造航空機用 木造造船用 鍛造加工シャコ万力 在庫品豊富 各寸法注文製作ニ應ズ(資材呈供歓迎) ナガヰ製作所 営業所 下谷区竹町二ノ十〜」
掲載:昭和19年9月
富岡兵器製作所今月2回目である。機関銃製造工場らしくイラストは機関銃、そして敵機を狙っているのだろうか。
内容
「見よ! 今日も前線の空で我荒鷲は一撃の下仇敵を叩いている 送れ飛行機を!造れ兵器を! 吾等の造る兵器は直接鬼畜をたをすのだ 勝ち抜く爲にさあ頑張ろう
神奈川県下 大日本兵器株式会社富岡兵器製作所」
掲載:昭和19年9月
白抜きのアルミニュームの文字がアルミっぽさを出している。どちらかというと求人広告寄りになるが、同社は18年11月に国策広告を出していることからこちらで紹介する。
内容
「アルミニュームは飛行機の母だ! 来たれ 増産の戦場へ!!
昭和電工横浜工場」
掲載:昭和19年9月
7月に続く広告。同じテンプレートを使用しているが、内容は本業である通信機の必要性を強くアピールしている。 因みにZ旗のイラストは、日本海海戦を意味しており、この海戦の勝因の一つが無線機の活躍(バルチック艦隊発見の報告など)であったのだ。
内容
「近代戦は通信機から 航空決戦も 艦隊決戦も 通信機の優秀にあるのだ 断じて造れ 優秀通信機を
神奈川県下 富士通信機製造株式会社」
掲載:昭和19年9月
常連会社であり、このテンプレートは他社も使用している人気テンプレートである。しかし、少しだけレイアウトを変えているのがいじらしい。
内容
「勝利の鍵 正に飛行機 飛行機さへあらばと前線将兵は歯ぎしりしていると伝う 悲痛なるこの叫びは我等飛行機生産戦士の胸を咬む 頑張るのは今だ 増産するのは今だ 神奈川県下 石川島航空工業株式会社」
掲載:昭和19年9月
今月2回目の広告であり、前回と同じテンプレートを用いている。云い方は変えているが、内容は飛行機増産には工作機械も増産しなければならないということ。
内容
「学徒の通年動員 女子挺身隊の出勤等で飛行機工場の手は揃った 工作機さへあれば忽ち三倍五倍の増産だ 我等の責任は重い 飛行機増産の責任を双肩に工作機増産に突撃だ 神奈川県下 大日本兵器株式会社湘南工場」
掲載:昭和19年9月
日本製鋼所今月2回目の広告。文言は同じだが、イラスト変更している。敵機を撃墜した勇ましい情景である。
内容
「量と質と時 目睫に迫った決戦に驕米を叩きつけヤンキーの抱く幻想を粉砕して勝利を確定するものは 量である 質である 時である ”日本製鋼魂”とはどんなものか。増産突撃の戦果で示そう 神奈川県下 日本製鋼所」
掲載:昭和19年9月
富岡兵器製作所今月3回目である。2回目のテンプレートを継続使用しつつ内容は変更している。なんとB29の名前が登場した。これから全国民にこの名前が刻み込まれていくのだ。
内容
「我等の汗でB29を撃墜せん 不遜傍若にもわが皇土侵冠を狙うB29、これを撃墜するものは我等の作る兵器だ。即ち我等の汗の結晶が米機を撃墜するのだ 今一段と頑張ろう 今一段と増産せん
神奈川県下 大日本兵器株式会社富岡兵器製作所」
掲載:昭和19年9月
9月2回目の日本精工の広告。しかし、7月のテンプレートを使い、文言は前回のものを使用と手を抜いている。
内容
「戦局危急にして皇国の興廃方に此機に存す 歯を食しばって増産に挺進敢闘だ 我等の双肩に国家の運命がかゝつてるのだ体当たりで増産だ
神奈川県下 日本精工株式会社 藤沢工場」
掲載:昭和19年9月
白金は兵器製造に欠かせない重要素材であることから8月15日からダイヤなどとともに一斉買上が開始された。神奈川県でも白金根こそぎ動員と位置づけ熱意を持って取り組んだ。
交易営団が指定機関となり、取次機関は市中の銀行や信託会社が当たった。買上価格は白金99.8%1匁に付26円、これに加工費が加わって61円であった。国策として集中的に新聞広告をうち、松屋も自主的に広告を出している。
内容
「白金緊急買上 献納品モ受付マス
敵ハ迫ル 一刻モ早ク買上ニ応ジテ下サイ 則金買上(鑑定ヲ要スル場合ハ預証ヲ発行ス)
取扱所(神奈川県下)横浜松屋。県下各銀行。信託会社
買上価格 一匁金六十一円。付属品モ買上ゲマス
横浜市中区山下町五八 交易営団横浜支部
出張買上第一回 小田原方面 九月二十九日三十日 於小田原市役所会議室」
掲載:昭和19年9月
9月は白金回収が至上命題となっているようだ。軍需省や日本宣伝協会の名前が出ているが、広告主は村松印刷のようである。これぞ国策広告と云えるだろう。
内容
「必勝のために 白金を急げ
軍需省 社団法人日本宣伝協会
横須賀市大瀧町三八 村松印刷株式会社」
掲載:昭和19年9月
前広告と同じ趣旨である。ただし文言が「必勝のために」が「決勝のために」にと何故か変えられている。今の感覚では多少意味合いが違っているように感じる。広告主はこれも同じ横須賀市内の大濱鉄工所であるので、この白金シリーズ広告は横須賀市内企業向けに広告を募ったものか。同社は翌日にも同じ広告を出している。
内容
「決勝のために 白金を急げ
軍需省 社団法人日本宣伝協会
横須賀市日町一ノ二〇 大濱鉄工所」
掲載:昭和19年9月
日本製鋼所今月3回目の広告。文言は同じだが、またまたイラストを変更した。前回と同じ軍艦の対空砲火で敵機を撃墜した場面である。ただ、少し雑になったか。この先、11月20日にも同様の広告を出している。
内容
「量と質と時 目睫に迫った決戦に驕米を叩きつけヤンキーの抱く幻想を粉砕して勝利を確定するものは 量である 質である 時である ”日本製鋼魂”とはどんなものか。増産突撃の戦果で示そう 神奈川県下 日本製鋼所」
掲載:昭和19年9月
またまた、白金広告である。このところ集中して出されている。文言が「必勝のために」から「決勝のために」ときて「決戦のために」と変わってきた。興味深い。
内容
「決戦のために 白金を急げ
軍需省 社団法人日本宣伝協会
横須賀市安浦一ノ二 財団法人横須賀隣人会」
掲載:昭和19年9月
同日の横須賀からの白金広告である。内容がエスカレートしている。
内容
「白金総出陣 決戦へ!白金はねこそぎ出陣させよう 忘れ難い想い出の品もあろう 手離し難い特別の遺品もあろう…… だが皇国危急の秋!あなたの魂をこめあなたの分身として 明日といはず今すぐ送り出そう!
要項 買上場所 百貨店其の他代行機関 取次機関 都市所在の銀行、信託会社本支社 買上期限 十一月十四日まで 買上機関 中央物資□□協会 交易営団 買上値段 一匁六十一円
軍需省 財団法人日本宣伝協会 横須賀市□□」
掲載:昭和19年9月
前日と同じテンプレートを使った湘南自動車の白金の買上広告。ここ数日における白金広告の集中度はすさまじい。
内容
「決戦のために 白金を急げ
軍需省 社団法人日本宣伝協会
横須賀市大瀧町四六 湘南自動車製造株式会社」
掲載:昭和19年9月
富岡兵器製作所、なんと今月4回目である。文言は今月の1回目を使い回しているが、イラストは変えている。機上から敵機を撃ち落としている場面であるが、友軍機も登場し、空中戦の模様である。
内容
「見よ! 吾が新鋭機銃の威力を 敵機は火を噴いて墜ちる 今日も前線の空で我荒鷲は一撃のもと仇敵をたゝいている 送れ、飛行機を!造れ、兵器を! 吾等の造る兵器は 直接鬼畜をたをすのだ 吾等の懸命な努力が 直接将兵の力となるのだ 総てが戦場だ 今日が決戦だ 勝ち抜く為に さあ頑張ろう
神奈川県下 大日本兵器株式会社富岡兵器製作所」
掲載:昭和19年9月
横須賀隣人会の今月2回目。前回と全く同じかと思いきや、「決戦」を「決勝」に変えている。何故だろう。
内容
「決勝のために 白金を急げ
軍需省 社団法人日本宣伝協会
横須賀市安浦町一ノ二 財団法人横須賀隣人会」
掲載:昭和19年9月
先月と同じテンプレート。出稿者は勿論異なる。
日本鋳造とは大正9年、浅野総一郎が鶴見で創業した会社である。社名の通り鋳物工場である。
内容
「必勝のために 白金を急げ
軍需省 社団法人日本宣伝協会 日本鋳造株式会社」
掲載:昭和19年10月
富岡兵器製作所。先月に引き続き、同じテンプレート、文言なのだが、富岡の名前が消されている。こんなところにも当局の規制がかかっている。
内容
「我等の汗でB29を撃墜せん 不遜傍若にもわが皇土侵冠を狙うB29、これを撃墜するものは我等の作る兵器だ。即ち我等の汗の結晶が米機を撃墜するのだ 今一段と頑張ろう 今一段と増産せん
神奈川県下 大日本兵器株式会社〇〇兵器製作所」
掲載:昭和19年10月
「県内を回って出張買上を行うとは、まるで献血のよう。また「白金だ 決戦だ」を二度繰り返すなど、アッピール度が凄まじい。白金回収の切実さが伝わってくる広告。
内容
「白金だ 決戦だ 今すぐ売りましょう 軍需省
取扱場所 横浜松屋、県下銀行信託会社
◎出張買上(八時ヨリ四時迄)
鎌倉市役所(自十月二日至四日) 平塚市役所(自同六日至七日) 横須賀市役所(十月九日) 横須賀さいか屋(自同十日至十一日) 川崎市小美屋(自同十二日至十四日)
即金で買上ます
代行 横浜市中区山下町五八(電代表本局六一五六) 交易営団横浜支部
決戦だ 白金だ」
掲載:昭和19年10月
またまた白金供出の広告。9月からこのパターンが多く、広告主が異なるためか少しづつデザインを変えているのが興味深い。
内容
「決勝のために 白金を急げ
軍需省 社団法人日本宣伝協会
横須賀市公郷町二二二九 合資会社花崎組」
掲載:昭和19年10月
日本精工今月1回目の広告。テンプレートは先月のものを使い回し、文言も同じであるが、唯一工場の所在地が消されている。
内容
「驕米の反攻は飛行機の数が力だ 乗員が腰抜けでもその数は馬鹿にはならない 攻勢転移は一に飛機だ 歯には歯だ 量には量だ 今こそ決死増産だ 神奈川県下 日本精工株式会社 〇〇工場」
掲載:昭和19年10月
9月に続く広告。同じテンプレートを使用しているが、文章は前月よりグレードアップし、通信機の重要性をさらにアピールしている。
内容
「勝敗は一分秒に在り 通信機は艦隊の目だ、航空機の耳だ わが艦隊、わが荒鷲の神技に、われらも神技を振って無敵の通信機を送らん
神奈川県下 富士通信機製造株式会社」
掲載:昭和19年10月
池貝自動車製造とは、明治22年創業の池貝が昭和12年に 陸軍向け車両製造の子会社として設立したもので、997式軽装甲車などのディーゼルエンジンを製造していた。昭和27年に小松製作所に吸収合併される。
本体の池貝鉄工所は、平成13年民事再生法の適用を受け、台湾企業の傘下に入った。9月の横須賀隣人会と同じテンプレートを使用している。
内容
「決勝のために 白金を急げ
軍需省 社団法人日本宣伝協会
池貝自動車製造株式会社」
掲載:昭和19年10月
縦型で、9月の大濱鉄工所と同じテンプレートを使っているが個人名の広告である。佐野伴治とは横須賀の翼賛壮年団長である佐野病院長であり、ペリー上陸記念碑の破壊を主導した。
内容
「決勝のために 白金を急げ
軍需省 社団法人日本宣伝協会
佐野 伴治」
掲載:昭和19年10月
石川島航空工業とは昭和16年に航空発動機部(昭和11年に創設され海軍の航空用発動機を製造)が分離して、新設されたもの。広告の常連会社であり、9月と同じ文章だが、テンプレートを変更している。イラストは出撃していく仲間たちに帽振れをしている情景なのであろう。
内容
「勝利の鍵 正に飛行機 飛行機さへあらばと前線将兵は歯ぎしりしていると伝う 悲痛なるこの叫びは我等飛行機生産戦士の胸を咬む 頑張るのは今だ 増産するのは今だ 神奈川県下 石川島航空工業株式会社」
掲載:昭和19年10月
石川島芝浦タービンは、昭和11年に石川島と芝浦製作所の共同出資で設立されたタービン製作工場で、工場は鶴見にあった。太平洋戦争に入り、軍需工場に指定され、昭和18年松本に大工場を建設、さらに辰野、木曾、伊那に工場を建設した。主に航空機用排ガスタービン、過給機などを製造していた。 今までは、航空機関係ならなら飛行機、造船関係会社なら船を造れと呼びかけていたが、この会社は両者を対象にしている。両者の部品を製造しているからであろう。
内容
「飛行機を送れ!船を送れ! 前線よりの声を聞け 量をたのむ驕敵と南の海に、大陸に血みどろの戦いを戦い抜く 皇軍将兵の血の叫びだ 飛行機も船も吾等の手で造るのだ 我等の一日の勤労で鬼畜幾百をたゝきつぶすのだ 我等一ヶ月の汗の結晶で米鬼幾千をたゝきつぶせ さあ働け英霊に応えて 神奈川県下 石川島芝浦タービン株式会社」
掲載:昭和19年10月
お馴染み、白金供出の広告だが、新たなコピー「兵器を造るために」が登場。広告主は軍港横須賀の百貨店「さいか屋」である。
内容
「兵器を造るために 白金を
軍需省 日本宣伝協会
横須賀市大瀧町一五 株式会社 さいか屋」
掲載:昭和19年10月
四つ前と同じテンプレートを使っている。上記のさいか屋と同じ10月6日の紙面であり、広告主の松田組とは土木請負業社である。
内容
「決勝のために 白金を急げ
軍需省 社団法人日本宣伝協会
横須賀市日ノ出町二ノ五 松田組」
掲載:昭和19年10月
先の松田組であるが、翌日の紙面にテンプレートを変えて出してきた。
内容
「兵器を造るために 白金を
軍需省 日本宣伝協会
横須賀市日ノ出町二ノ五 松田組」
掲載:昭和19年10月
久しぶりの浦賀船渠の広告。国民総突撃を戦場や生産、輸送の現場のイラストで表現しているのだが、印刷が非常に荒いのはどうしたのであろう。
内容
「大和一致で総突撃だ!! 神奈川県下 浦賀船渠株式会社」
掲載:昭和19年10月
日本精工今月2回目の広告。テンプレートは先月のものを使い回し、文言は10月のものを利用。というように国策広告の常連日本精工は、使い回しで広告を出していることがわかる。
内容
「驕米の反攻は飛行機の数が力だ 乗員が腰抜けでもその数は馬鹿にはならない 攻勢転移は一に飛機だ 歯には歯だ 量には量だ 今こそ決死増産だ 神奈川県下 日本精工株式会社 〇〇工場」
掲載:昭和19年10月
常連、日立造船10月1回目の広告。9月に出した2回の広告のテンプレートを文章を入れ替えて使っている。日本精工と同じやり方である。
内容
「こゝに敵の野望を砕く一つの道がある 船だ、船だ、船だ!船を造ろう この船は鉄をはこんでくる この船は油をはこんでくる この船はボーキサイトをはこんでくる この船は つはものを 弾丸を 飛行機を つんで まっしぐらに 戦いの海をゆく この船が波濤を越え 敵潜をふみつぶし 爆撃のスコールをつき 勝利の日へ ひとすじの航路をひく 船だ、船だ、船を造ろう! 神奈川県下 日立造船株式会社神奈川造船所」
掲載:昭和19年10月
大日本兵器の10月1回目の広告。同じテンプレートを使っているが、文章は、最新ネタの台湾沖縄への敵機襲来を利用している。さすがである。
内容
「調子に乗って驕米は台湾沖縄を侵寇盲爆す されど見よ わが航空部隊は わが制空部隊は 之れを邀撃し 之れを攻撃し □□撃墜 敵空母を撃沈破す 今こそ我等の作る兵器が火を吹くのだ。米鬼を叩き落すのだ。戦果につづいて増産の戦果を挙げよう。
神奈川県下 大日本兵器株式会社〇〇兵器製作所」
掲載:昭和19年10月
石川島航空工業今月2回目の広告。1回目と同じテンプレートだが、文章を最新の大戦果を使って増産の掛け声につなげている。
内容
「台湾東方海面の我大戦果は 一に飛行機だ 体当り勇士が魂の勝利だ 今こそ勝って兜の緒を締めよう 残存敵艦隊は我らの作る飛行機で屠るのだ! いざ入魂の大増産へ 神奈川県下 石川島航空工業株式会社」
掲載:昭和19年10月
大日本兵器の10月2回目の広告。また同じテンプレートを使い、前回同様、大本営発表の虚偽の戦果が国民の増産意欲の動機付けに利用された。
内容
「勝利の神機正に至れり おぞましくも物量に驕れる敵米機動部隊に我航空部隊は殲滅的痛打を喰わした 戦史空前の赫々たる大戦果を見よ 忍んでいた神州日本の怒りが爆発したのだ 今こそ勝利の神機だ 今こそ生産追撃だ
神奈川県下 大日本兵器株式会社〇〇兵器製作所」
掲載:昭和19年10月
台湾沖航空戦の虚偽の大戦果が、国民の戦意高揚、増産意欲に大きな影響をあたえた事が伺える。
内容
「いざや必勝増産へ 戦火に応え飛行機を 造って! 送って! 勝抜こう!
日産自動車」
掲載:昭和19年10月
日本精工今月3回目の広告。文章は2回目と同じだがテンプレートは6月に使ったものを使い回している。
内容
「驕米の反攻は飛行機の数が力だ 乗員が腰抜けでもその数は馬鹿にはならない 攻勢転移は一に飛機だ 歯には歯だ 量には量だ 今こそ決死増産だ 神奈川県下 日本精工株式会社 〇〇工場」
掲載:昭和19年10月
常連大日本兵器10月3回目の広告は、9月2回目の広告をそのまま使用。ただし、工場の場所名は伏せている。
内容
「学徒の通年動員 女子挺身隊の出勤等で飛行機工場の手は揃った 工作機さへあれば忽ち三倍五倍の増産だ 我等の責任は重い 飛行機増産の責任を双肩に工作機増産に突撃だ 神奈川県下 大日本兵器株式会社〇〇工機工場」
掲載:昭和19年10月
10月1日の広告以来、出張買上第2回目の広告。買上場所も増え、白金回収の力の入れ具合がわかるが、そもそも軍需物資としての白金(=プラチナ)は、開発中であった秋水(ロケット戦闘機)の燃料である高濃度過酸化水素水の製造に必要であったようだ。
内容
「追撃だ 白金だ 今すぐ出そう 軍需省
◎出張買上(第二回)(九時―四時)
藤沢市役所(十月二十八日、二十九日) 鎌倉市役所(同 三十、三十一日) 横須賀さいか屋(十一月一、二日) 平塚□島デパート(同 四、五日) 厚木町役場(同 七日) 津久井地方事務所(中野町 同九日) 小田原市役所(同 十一、十二日)
◎常時取扱場所(九時―四時)
横浜松屋、県下銀行、信託会社
新設 一、神奈川会館前、坂安店内 一、伊勢佐木町入口、萬太店内
横浜市中区山下町五八(電本局六、一五六) 指定機関 交易営団横浜支部
足らぬ白金 売れ白金」
掲載:昭和19年10月
こちらも常連國華産業。久しぶりにイラスト入りの大きめの広告である。
内容
「撃滅 増産で撃滅だ 今こそ国民決死の総突撃 さあ馳せ参ぜよ生産戰へ
神奈川県下 國華産業株式会社」
掲載:昭和19年10月
常連大日本兵器10月4回目の広告。前回のテンプレート使って、早速フィリピン東方沖の大戦果を持出し、工作機械増産の動機づけに利用している。この後、30日付けで5回目の広告を出しているが、今月2回目と全く同じものである。
内容
「今日も又 感激の涙で聴いた赫々の戦果の放送 飛機あればこの通りの大戦果なのだ。比島攻防決戦正に酣の秋 体当たりで増産だ それには飛行機製作の母”工作機械”の増産が先決問題だ 我等の全工場 増産へ総突撃だ 神奈川県下 大日本兵器株式会社〇〇工機工場」
掲載:昭和19年10月
白金供出の定番テンプレートによる個人の出稿である。
内容
「兵器を造るために 白金を
軍需省 日本宣伝協会
横須賀市若松町八八番地 野口渉」
掲載:昭和19年10月
大日本兵器10月6回目の広告。4回目のテンプレート使って、出だしの文章だけ最新の情報に変更している。
内容
「今日も亦 レイテ湾頭に米鬼を撃砕している 飛機あればこの通りの大戦果なのだ。比島攻防決戦正に酣の秋 体当たりで増産だ それには飛行機製作の母”工作機械”の増産が先決問題だ 我等の全工場 増産へ総突撃だ 神奈川県下 大日本兵器株式会社〇〇工機工場」
掲載:昭和19年10月
久々、佐倉鋼鉄の広告。同社は金庫を主とする鋼製家具メーカーであり、軍需品も製造していた。内容はともあれ、ペリリューの戦いの情報が共有されていた事が分かる。
内容
「飛行機を送れ 航空機の決戦だ! 飛行機をペリリュー、レイテの決戦場へ 今急ぐ補給せよ 女子よ来たれ決戦の職場へ
神奈川県下 佐倉鋼鉄工業株式会社」
掲載:昭和19年11月
先月に引き続き、当局からの白金供出の広告。「保有禁止」という文言まで出して強制的に集めようとしていることが分かる。
白金は、「秋水」の燃料に使う過酸化水素を造るのに必要な物質であった。
内容
「勝つ白金 保有禁止だ 皆出そう 本月十五日迄に売るか又は銀行や信託に譲渡申込書を出しましょう 申込は書面だけ(住所氏名品名数量) 軍需省
◎出張買上
小田原市役所(十一月十、十一、十二日) 鎌倉市役所(同 十三日) 逗子市役所(同 十四日)
◎買上所(十五日迄)
松屋、萬太(伊勢佐木町)、坂安(神奈川会館前)小美屋(川崎)
交易営団横浜支部 急げ白金」
掲載:昭和19年11月
大日本兵器11月13日の広告は、10月3回目の広告と同内容なのだが、何故か縦横のサイズ比が異なっている。11月19日にも全く同じ広告を出している。
内容
「学徒の通年動員 女子挺身隊の出動等で 飛行機工場の手は揃った 工作機さえあれば忽ち三倍五倍の増産だ 我等の責任は重い 飛行機増産の責任を双肩に工作機増産に突撃だ 神奈川県下 大日本兵器株式会社〇〇工機工場」
掲載:昭和19年11月
今のエネオスの前身の一1年ぶりの日石の広告。文言は同じだが、イラストが入って、ポップなフォントに代わっている。製油所の場所名も消えた。
内容
「空の決戦!石油戦だ!!
日本石油〇〇製油所」
掲載:昭和19年11月
9月以来の日立造船の広告。その時の一篇の詩のような文章を使っている。後段を少し省略しているが、造船への熱い思いが伝わって来る。
内容
「こゝに敵の野望を砕く一つの道がある 船だ、船だ、船だ!船を造ろう この船は鉄をはこんでくる この船は油をはこんでくる この船はボーキサイトをはこんでくる この船は つはものを 弾丸を 飛行機を つんで まっしぐらに 戦いの海をゆく 船だ!船だ!船を造ろう! 神奈川県下 日立造船株式会社〇〇〇造船所」
掲載:昭和19年11月
当局からの銀供出の広告。最初は鉄、銅から始まり、金、白金、そして銀まで集めなければ戦争遂行が困難という事であり、資源小国日本の限界が近づいている。
内容
「航空決戦に銀の供出を急げ! 銀は航空発動機の軸受に絶対必要だ (目下即金買上実施中)
大蔵省 軍需省 神奈川県 中央物資活用協会」
掲載:昭和19年11月
昭和10年、蒲田で創業されたゲージ専業メーカーで、現在の黒田精工の初広告。挟範とはゲージのこと。イラストに高射砲が描かれているが、今月B29による東京初空襲が行われた。
内容
「ゲージを作れ レイテ湾に群る驕米撃滅の勝機は今だ、今だ! 今こそ飛機を船舶を、兵器を必死で増産だ この増産の鍵こそ精密な検査器だ 吾らの作るゲージだ 来たれ!決戦の戦場へ!
神奈川県下 株式会社 黒田挟範製作所」
掲載:昭和19年11月