飲食物の広告

広 告

飲食物の広告ならば本来訴えるべきはその味、美味しさである。しかし、戦争という非常時、そして勝ち戦ならいざ知らず物資不足で国内が疲弊してくる状況の中では、贅沢は敵であり、美味しいものを食べましょうなどということは社会的に許されなくなってくる。
よって、飲食物の広告宣伝には、時局に合わせた方策が必要になってくる。一つは銃後の護りに役立つことをアピールすることで、健康報国を利用することや慰問品に好適というのが効果的である。もう一つは、節約に役立つということ。この二つが王道であり、この観点から実際の広告を見ていきたい。数が多いものはページを分けて紹介する。

明治チュコレートの広告
敬礼している一人の陸軍兵士。その手には明治のチョコレートが握られている。という非常にシンプルな広告である。コピーも「栄えある勲(いさお)」と「かがやく健康」を対比させ、名誉ある功績には健康が重要、そのためには明治チョコレートというつながりで消費者の購入意欲にアピールしている。
明治製菓は、明治三十九年設立の明治精糖という会社が前身で、東京菓子を経て、大正13年に明治製菓に改称している。チョコレートは大正15年にミルクチョコレートとして発売されたものです。
因みに森永ミルクチョコレートは大正7年の発売です。
内容
「明治チョコレート
栄えある勲 かがやく健康 明治チョコレート
明治製菓株式会社
掲載:昭和7年4月 

味の素の広告
味の素とは明治42年5月20日に販売開始されたグルタミン酸塩を主成分とした調味料である。 昭和10年頃には台湾、朝鮮を始め上海、ニューヨーク、シンガポールなどに事務所を開設していた世界企業であった。広告は、満州の国境警備を利用して味の素の効果をPRしている。味の素の新聞広告の露出度合いは凄いものがある。
内容
「世界一の調味料 味の素(登録商標)
厳寒ものかは国境の防備は益々堅し。
美味い、不味いの境界に、味の素ありて調理には、不安なし 世界に比類なき歴史と科学の粋を誇る調味料
宮内省御用達 味の素本舗株式会社 鈴木商店」
掲載:昭和12年2月 

明治牛乳の広告
銃後を護るためにはまず健康な肉体が必要という入りやすい観点の広告。牛乳は今も昔も栄養飲料である。
内容
「低温殺菌 明治牛乳
栄養豊富な明治牛乳で強健溌剌な肉体を造り銃後を固く護りましょう!
明治製菓株式会社
掲載:昭和12年10月 

牛肉の広告
健康報国という言葉が登場した。 中川牛肉店は横浜市中区にあった牛肉問屋であるが、牛肉販売と牛鍋屋の元祖である中川屋嘉兵衛と関係があるのであろうか。
内容
「健康報国
銃後の護りはまづ健康 牛肉を召上り 体力を強健に錬えよ!
中川の牛肉宣伝部」
掲載:昭和12年10月 

味の素の広告
今や世界企業となった味の素の広告である。鈴木商店は大正6年の設立であるが、味の素自体は明治42年に販売が開始されている。 当時は新聞広告の常連であったが、これは慰問品に最適という時勢に合わせた内容である。
内容
「慰問袋に味の素
護れ・皇軍将士の食欲! 働くには先ず食物、食欲は実に力です!不自由勝ちな戦場に於ける吾等の勇士にぜひ、味の素を送りましょう
宮内省御用達 味の素本舗 株式会社鈴木商店」
掲載:昭和12年10月 

キッコーマンの広告
日本を代表する醤油メーカー。ルーツは江戸時代に野田で醤油造りを始めた高梨家である。キッコーマンの商標が確立したのは昭和15年、また、ソースの販売は昭和11年からである。流行り言葉であったであろう「銃後を守る」を取り入れたシンプルな広告である。
内容
「兄弟仲良く銃後を守る
天下一品 キッコーマン醤油とキッコーマンソース
掲載:昭和12年12月 

煉羊羹の広告
馬車道にあった住田楼は明治3年創業の老舗和菓子屋で、小倉羊羹が神奈川県指定銘菓であった。しかし、残念ながら数年前に閉店されたようである。 羊羹は、今では食べる機会も少なくなったが、かっては、酒保でも扱っていたごく普通のおやつであり、日持ちもすることから慰問品にもよく使われた。
内容
「出征将兵の御慰問用
名物 煉り羊羹
中区真砂町 住田楼 老舗 電話(3)四七五五」
掲載:昭和12年12月 

味の素の広告
「戦いはこれからだ」、「料理にも戦時体制」と戦意を昂揚させる言葉を効果的に利用している。 イラストも街角で千人針を縫う女性達を使うという、戦時体制そのものの広告である。
内容
「戦いはこれからだ!
料理にも戦時体制 お料理には味の素を十二分に御利用下さい!調味費はグッと減ります。美味さはズッと増します。酷暑に鈍る食欲も、この味で、全く救われます
味の素(登録商標) 宮内省御用達 味の素本舗 株式会社鈴木商店」
掲載:昭和13年7月 

味の素の広告
「梅干・むすびは国策線」の表現は、質素倹約が奨励(強制)されていた世相を反映している。」 日の丸弁当はおかずがないため、ご飯に味の素をかけて食べるとは悲しい状況である。
内容
「腰の弁当伊達ではないよ 梅干・むすびの国策線。包み開いて味の素パッパと降らせば、弁当の味覚(あじ)も日本晴れ!
お山は晴天・弁当はうまい 味の素
宮内省御用達 味の素本舗 株式会社鈴木商店」
掲載:昭和13年8月 

日清ミルクキャラメルの広告
日清製菓とは、創業大正12年で、有名なバターココナッツを製造していた会社(シスコのココナッツサブレとは異なる)である。
日本男子にとって、甘いものは女、子供の食べるものという印象があるが、そんなことはなく、激務に耐える兵隊さんの好物は、チョコレート、お汁粉、饅頭など甘いものであったようで、キャラメルなどは慰問品にも最適だったであろう。
内容
「甘い慰問品を 戦線勇士へ  滋養第一 風味満点 日清ミルクキャラメル   
横浜 日清製菓株式会社 東京」
掲載:昭和16年1月 

ふくらし粉の広告
質素倹約の時局に合わせ、節米して代用食が盛んに宣伝された。特にうどんやパンなどの小麦粉食が推奨され、少ない材料で大きく見せることができるふくらし粉も重宝されたのであろう。
内容
「国策代用此の逸品
代用食にふくらし粉 アイコク ベーキング・パウダー 推奨 神奈川県新聞社
販売所 川崎市小川町 濱屋合名会社 横浜市吉田町 中屋合名会社 横浜市若葉町 金田屋商店」
掲載:昭和16年1月 

味のホンの広告
新型液体調味料で、従来の鰹節、醤油などと比べて、低価格で経済的というのを新体制と旧体制を利用した比較として具体に数字で表現した斬新な広告。 名称は、味の素をパクリか。
内容
「万能液体調味料 味のホン 
一日三度の食事は人体に栄養を給与するためであり又一家団欒の中心である以上当然美味であらねばなりません。 御料理の秘訣は申すまでも無く各々材料の中に潜んでいる持味を巧みに生かして甘味辛味酸味渋味苦味の五味と味覚見覚感覚の三位一体の調和を計り其の上栄養と経済を充分考慮したものでなければなりません。そこに御料理の難しさが有る訳です。
 〜  横浜市中区花咲町一ノ四七 株式会社 望月商店」
掲載:昭和16年1月 

愛国ベーキングパウダーの広告
代用食として重宝されたベーキングパウダーの広告であるが、ユーモアたっぷりの判じ絵で書かれているのがユニークである。
内容
「節米協力 代用食に国産ふくらし粉 愛国ベーキングパウダーを使いましょう
水一合強+味噌10匁+砂糖少々ヲ鉢デネル 小麦100m匁+愛国ベーキングパウダー5匁ヲヨク混合シテ鉢ニ入レ杓文字デネル 桃太郎ノベントウンノ形ニ丸メテゴハンムシデ十五分カン蒸スオトウサン オニイサン イモウトモヨココブ 代用食労研饅頭ガデキマシタ
特約販売店 川崎市小川町 濱屋合名会社 横浜市吉田町 中屋合名会社 横浜市若葉町 金田屋商店 横浜市日ノ出町 株式会社廣屋支店
百貨店、砂糖店、乾物店、酒屋、各地特約店ニアリ」
掲載:昭和16年4月 

乾海苔問屋 坂安本店の広告
海苔を慰問用にとは、戦地で御飯に巻いて食べたのであろうか。
内容
「御家庭用 御進物用 皇軍御慰問用に 浅草のり
 御用命は 乾海苔問屋 坂安本店 神奈川区滝の橋際 電(4)三〇七七番  焼海苔 味付海苔製造元」
掲載:昭和16年10月 

三ッ引ソースの広告
同じデザイン、「チュッチュッチュッ!うまいうまいとってもうまい」のコピーで、新聞広告を出してきたが、先月から「海軍御用」に変更した。変更理由は分からないが、海軍御用達にでもなったのであろうか。 しかし、この三ッ引ソース、会社ともども内容は不明である。
内容
「三ッ引ソース
海軍御用の優良品!  ご家庭にも 食堂にも 此の逸品を……
横浜・居□食品工業有限会社」
掲載:昭和18年8月 

武蔵屋本店廃業の広告
「武蔵屋とは、安政3年創業、横須賀土産として名物うろこ餅、軍艦煎餅、古跡煎餅などを販売していた老舗菓子店で、分店も2か所出すほどの名店であった。しかし、戦時中は、戦争遂行に役に立たない商売は転業を推奨されており、武蔵屋もそのため廃業したもの。転業先は不明である。
内容
「謹告
弊店儀創業以来茲に七十有余年御得意各位様より絶大なる御愛顧御支援のもとに父祖伝来の営業を続けてまいりましたが今般大東亜戦争決戦の秋に当り時局下統べてを挙げて勝ち抜く爲には国家の要請に遵奉し進んで転業を希望し以て店舗を閉鎖する事に致しました 永年にわたる御贔屓御支援に対し心から感謝の意を表し厚く御礼申述べると共に閉鎖に際し一言紙上を通じ茲に謹んで御挨拶申し上ぐる次第であります 敬白
昭和十八年九月 日 横須賀市汐留町六番地 菓子商 武蔵屋本店 店主 山中松次郎 電話九二三番」
掲載:昭和18年9月 

横浜市食料品小売商業組合の広告
食糧難による配給制であるが、頼みの配給もなかなかなく、慢性的な食糧欠乏生活のなかで配給品すら残せという。滅私奉公とはこのこと。
内容
「配給の品も余して御奉公
横浜市食料品小売商業組合 理事長 北見清吉
日本大通り(郎 電話九二三番」
掲載:昭和18年9月 

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