駅の記念スタンプ |
観 光 |
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鉄道省の各駅では、昭和7年頃から観光客のための記念と観光宣伝を兼ねて、駅周辺の名所旧跡をデザインした遊覧記念スタンプを作成している。 現在もこれは引き継がれ、記念スタンプが設置されている駅は多い。当時の名所や売り出したい観光地がデザインされており、現在のデザインと比べてみるのも興味深いものである。 |
横須賀駅の記念スタンプ 昭和7年8月1日から使用開始された横須賀駅の記念スタンプである。 全国各地の観光地では観光記念のスタンプを使って観光宣伝をしているが、横須賀では郵便局の観光スタンプしかないことを嘆いた当時の横須賀駅長の発案で製作された。 デザインは、戦艦を中心として、周りに飛行船、飛行機、そして桜の花びらをあしらい、横須賀線の路線を描き入れた三浦半島の地図を添え、周りを錨の鎖で囲うという、まさに横須賀軍港の出入口である横須賀駅にふさわしいもので、駅員から募集したものという。 なお、図案の戦艦は、屈曲煙突の様子から横須賀鎮守府所属であった戦艦「長門」であろう。 |
現行のスタンプ JR横須賀駅の改札前右手に置かれている。 3種類あるが、内2種類はおおきく磨り減っていてほとんど押印できない状態であった。左手の錨とかもめは新しい小型印で、シンプルだが横須賀駅のイメージではある。右手が残る2種類の大型印のうちのひとつ、観音崎灯台と汽船が一隻という穏やかなデザインであるが、横須賀駅らしさはあまり感じない。もうひとつはうまく押印できなかったが、駅舎を描いたものであった。 |
(他駅の記念スタンプ) |
(大磯駅) 大磯駅では、海水浴発祥の地をアピールするため、照ケ崎海水浴場をデザインした記念スタンプを作成した。 現在でも富士山を望むことができ、4月と9月に見ることができるダイヤモンド富士は絶景だそうです。 昭和8年2月27日付 |
(平塚駅) 平塚駅では、霊峰大山と馬入橋と工業地帯をデザインした記念スタンプを作成した。 駅が所在する平塚市は一年前の昭和7年4月1日、神奈川県下4番目に市制を施行している。 昭和8年4月28日付 |
(茅ヶ崎駅) 茅ヶ崎駅では、昭和9年7月に記念スタンプを作成した。 デザインは、茅ヶ崎を代表する姥島(烏帽子岩)、寒川神社、大岡越前守の廟所の3つの名所が描かれている。 茅ヶ崎市は昭和22年10月1日に市制を施行したもので、このころはまだ茅ヶ崎町であった。 |
(戸塚駅) 戸塚駅では、駅長の発案で記念スタンプを作成し、観光客の要望で捺印することになったという。 直径約2寸の円形で、周囲には桜の名所である柏尾川の桜の花弁と地方競馬場の雄、戸塚競馬場の馬を配し、 中央には富士山を望む東海道の松並木という賑やかなデザインである。 昭和9年11月14日付 |
(原町田駅) 横浜線の主要駅である原町田駅(昭和50年町田駅に改称)では、偶然の図案投稿をきっかけに記念スタンプを制作し、昭和10年1月1日から使用を開始した。 図案は、北条時行と足利直義が戦った井出の沢古戦場と寺社(参道の様子から菅原神社か?)を描いている。 昭和10年1月1日付 |
(川崎駅) 東海道線の川崎駅では、昭和7年12月1日から遊覧者向けに記念スタンプの押捺を開始した。 図案は、石野東耕画伯によるもので、中央の鉄橋は多摩川に架る六郷橋、背部には工業都市川崎を表す工場地帯、そして下部には川崎大師で知られる平間寺を描いている。 昭和7年12月1日付 |
(湯河原駅) 昭和10年9月17日から使用を開始した湯河原駅の紀念スタンプ。 図案は、駅員が考えたもので、中央に泉越鉄橋を渡る列車の姿、右下の海岸は門川海岸で、大波の上には見附の松(万葉公園向かいの高台にあった名所で、昭和34年の台風被害で倒れた)、その左には日金航空灯台の遠望、その下には噴煙を上げる大島の遠望、その下に湯河原駅の駅名標と名産の蜜柑、とアピールポイントを詰め込んだもので、製作は鉄道交通社である。 昭和10年9月17日付 |